老 恋 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

いきなりですが、皆さんは

 川田 順

という方をご存知でしょうか?

 

1882(明治15)年に東京・浅草に生まれ、一高から東京帝大に入学・・・当初文学部に籍を置きましたが、小泉八雲の薫陶を受けたものの、彼が退任したため「もう文科で学ぶことはない」として法科に転科したという秀才。

 

卒業後住友に入社し1930年には理事に就任、同年には一足飛びで常務理事となり、住友総本社のトップ・総理事就任が確実視される中、「自らの器に非ず」 として1936年に突然自己都合退職してしまいます。

その後佐佐木信綱門下の歌人、また 『新古今集』 の研究家として活躍し、戦後は皇太子の作歌指導や歌会始の選者を務めたという、ビジネスマンとしても歌人としても頂点を極めた人物でした。

・・・が、彼の名が世間で注目を集めたのはその業績ではなく、不倫愛でした。

1939年に妻を脳溢血で亡くした彼は、1944年から旧知の仲だった元京都帝大教授・中川与之助の夫人・鈴鹿俊子の作歌指導をしていました。

『新古今集』 研究の手伝いも彼女にしてもらっているうちに、2人の仲は師弟関係から恋愛関係へと発展。

それが中川元教授の知るところとなり、2人は彼の前で別離を誓ったものの・・・結局はその後も逢瀬を重ね、1948年8月に中川夫妻は離婚。

その自責の念に苛まれた川田氏は、今から71年前の今日・1948年11月30日に家出。

翌日、亡妻の墓石に頭を打ちつけて自殺未遂を図ったのです。

幸い一命は取り止めましたが、谷崎潤一郎ら友人に遺書を、また新聞社に告白録を送っていたため事の顛末が報道されることに。

 

     

                 12月の朝日新聞社会面

 

この一件は、川田氏が書いた 『恋の重荷』 の序文、

「若き日の恋は、はにかみて おもて赤らめ、
壮子時の四十歳の恋は、世の中にかれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの恋は、怖るる何ものもなし

 

から、〝老いらくの恋〟が当時流行語になったとか。

 

しかし世間の冷たい視線にもメゲず、2人は翌1949年に結婚。
 

川田68歳、鈴鹿41歳・・・27歳という父娘程の年齢差でしたが、2人は京都から神奈川・湘南に転居し、中川元教授との間にもうけた3人の子供の内、成人した長子を除く2人を引き取り生活を共にしました。

 

    

そして2人は川田氏が1966年に84歳で亡くなるまで添い遂げ、奥さんは96歳まで生き抜きました。

この不倫愛を題材にした小説があります。


 『虹の岬』 (辻井 喬・著 中公文庫・刊)

 

       

 

著者は、5日前に拙ブログで取り上げた、セゾン・グループの元総帥・堤清二・・・いや、辻井喬氏。

川田氏と同じく、企業経営者から詩人・作家へと転じた彼がこの不倫愛をどう描いたのか?

中にはこの作品を辻井喬の最高傑作という方もいらっしゃいますが、発表当時川田氏は既に亡くなっていたものの夫人はまだ存命だったことを併せ考えて読むと、面白いかもしれません。

これからますます高齢化社会となる日本・・・たとえ不倫ではなくても、配偶者を亡くした者同士の〝老いらくの恋〟は増えるはず。

葬儀屋時代、母親を亡くした子供たちと、父親と再婚した後妻(義母)との微妙な家族関係を垣間見たことがある私としては、周囲に理解される恋愛であって欲しいと願うばかりですが・・・。

えっ、お前は大丈夫なのかって?

どうかご心配なく。 

 

私にはそんな恋愛をするカネも時間も気力も、まして鬼より怖い女王様を裏切る度胸もないですから~。あせあせ

 

 

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