大御所 | ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。


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今日は、クイズからスタートです。

毎年2回発表される新人作家の登竜門 『芥川賞』・『直木賞』 の創設者にして、最近スクープ〝文春砲〟を連発する週刊文春の出版元・文藝春秋社(現・株式会社 文藝春秋)の創業者といえば、誰?

中高年の方ならもう分かりですょネ。 そう、正解は


 菊 地  

今日は、この小説家・劇作家そして実業家の命日・没後70周年にあたります。

       

菊地寛(ペンネームは〝かん〟 本名は〝ひろし〟)は、1888(明治21)年に現在の香川県高松市に生まれました。

代々高松藩お抱えの儒学者だった家系に生まれた彼は、生まれつき聡明で読書好き。

 

高松中学を優績で卒業し、学費免除で東京高等師範学校に進学。

ところが授業をサボッて除籍処分となり、明治大学法科へ。

 

更に徴兵逃れのために早稲田大学に籍だけを置き、図書館で井原西鶴を読み耽りましたが、それでも念願だった第一高等学校に入学。

 

そこで同級生となったのが、後にその名を冠する文学賞を創設することとなる、親友・芥川龍之介でした。

しかし卒業直前、同級生が盗んだマントをそうとは知らず質に入れ、盗難の嫌疑をかけられる〝マント事件〟に巻き込まれ、退学に。

 

京都帝国大学文学部に入学したものの、旧制高校卒業資格がなかったため本科に学ぶことが出来ず、失意の日々を送りました。

1916年に大学卒業後、時事新報の社会部記者を経て、小説家に。

『父帰る』(1917年)、『恩讐の彼方に』(1919年)など短編を中心に発表。

 

また1920年から新聞に半年間連載した長編小説 『真珠夫人』 は、2002年にTVドラマ化されて話題になりましたネ。

そして関東大震災が起きる8ヶ月前の1923年1月に私費で文藝春秋社を創設し、


「私は頼まれて物を云ふことに飽いた。 自分で考へてゐることを、読者や編集者に気兼なしに、自由な心持で云ってみたい」

として同人誌 『文藝春秋』 を創刊すると、これが大成功を収めて一躍資産家に。

 

       
                 
文藝春秋・本社


1928年に衆議院議員選挙に出馬するものの、落選。
 

1935年に前述の芥川賞・直木賞を創設し、1937年には請われて出馬した東京市会議員に当選。

 

1943年には前年に創業した大日本映画製作株式会社(大映)の初代社長に就任した彼は、川端康成・小林秀雄などの文学者に経済的支援を行いました。

 

また 『サザエさん』 の作者・長谷川町子さん一家が上京した際に援助したり、文藝春秋社の映画雑誌編集をしていた青年の芸達者なことに目を付け喜劇役者になるよう進言・・・彼が後の古川ロッパになった、なんてことも。

しかし大東亜戦争時に文芸銃後運動を発案して翼賛運動を行ったため戦後公職追放され、そのショックから立ち直れぬまま1948(昭和23)年3月6日、狭心症により59歳でこの世を去りました。

 

人生経験や人生観を創作に生かすことを重視し、「25歳未満の者、小説を書くべからず」 と主張していた彼の作品は、どれも人間の心理描写が素晴らしく、今読んでも中々に味があります。

        
        
   『ちくま日本文学 菊池寛』 (筑摩書房・刊)

同書には収録されていませんが、個人的には中学校の教科書で読んだ、鎧武者を描いた 『形』 という短編が妙に記憶に残っています。

 

そんな彼の人生に興味のある方には、、同じ時代に生きた様々な人々の証言を集め彼の創業した文芸春秋社が出版した、こちらの本をオススメします。

 『天才・菊池寛 逸話でつづる作家の素顔

       

 

ビートたけし師匠のように、出版社に殴りこんで編集長をポカリ・・・等々、彼の知られざるエピソードが満載。

 

今宵は久しぶりに同書のページをめくりつつ、日本文学の発展に大きく貢献した〝文壇の大御所〟のご冥福を祈るつもりです。

 

 

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