ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。


テーマ:

今日、午後0時10分にスタートが予定されている、


福岡国際マラソン

 

別府大分・東京・びわ湖毎日の各大会と並び、日本四大レースのひと

つであるこの大会が初めて開催されたのが、今からちょうど70年前の

今日・1947(昭和22)年12月3日のことでした。

 

但し、戦後の日本をマラソンで元気づけようと、〝マラソンの父〟とい

われた金栗四三選手の功績を称えて 『金栗賞朝日マラソン』 と名付け

られ33選手が参加したその第1回大会は、福岡ではなく熊本で開催

れましたが・・・。

 

栄えある初代優勝者は、和田利一選手(2時間45分45秒)。

 

       

 

その後開催地は高松・静岡・広島・福岡・宇部・名古屋・鎌倉と転々。

 

現在の福岡開催に固定されたのは、1959年の第13回大会から。
(とは言え、コース・ルート自体は昔と現在では違っていますが・・・。)

1966年に日本陸連が世界選手権の開催を国際陸連に提案したことで、同大会は『国際マラソン』と銘打たれ、実質的に世界一を決める大会に。

個人的に私がこの大会に注目するようになったのは、その翌年。

 

今からちょうど50年前の今日・1967年12月3日に開催された第21回大会で、オーストラリアのデレク・クレイトン選手(1942~)が世界で初めて2時間10分の壁を破る2時間9分36秒4の快記録で優勝してから。

 

     

       ※右は当時日本のトップランナーだった佐々木誠一郎選手

 

この時私は小学校3年生でしたが、クレイトンの名は今でも鮮明に憶えていますし、その後毎年のように同大会の中継を観ていました。

その中で印象に残った選手は、まず1971~74年まで4連覇を達成した、アメリカのフランク・ショーター選手。

髭を蓄え、颯爽と走る彼はダントツの強さを誇っていました。

 

       


この連覇中に開催されたミュンヘン五輪(1972年)のマラソンで、アメリカに64年ぶりの金メダルをもたらした名選手でした。

実は彼、1973年の毎日マラソン(現・びわ湖毎日マラソン)で、レース中にもよおし、沿道で振られていた毎日新聞社の小旗を数本引きちぎると、その紙を手にコースを離れて消防署のウラで用を足しながら、約20秒でコースに戻り、それでも大会新記録で優勝するという離れ業を演じたことで、当時話題になりましたっけ。

そしてもう一人は、我らが瀬古利彦選手。

1978~80年に3連覇を達成した後、1983年にも優勝。
翌年に開催されたロス五輪での金メダルを大いに期待されました。

 

       


しかし大会直前に恩師の体調不良等のアクシデントに見舞われ、結局メダルに手が届かなかったのが残念でした。

ところで、同大会は日本で開催されていながら、2004年の第58回大会で尾方選手が優勝して以来、外国人選手に優勝を独占され続けています。

今日行われる第71回大会で、日本人選手が14年ぶりに優勝をしてくれるかどうか?
扇子

ちょっと記録的に難しいかもしれませんが、地元の利を生かし根性で頑張って欲しいものです。

 

 

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