改 称 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

地方の一城下町であった〝江戸〟が、日本の中心都市に変貌するきっかけとなったのは、1603年に関ヶ原の戦いを制して征夷大将軍となった徳川家康が自らの居城・江戸に幕府を開いたこと。


その〝江戸〟が〝東京〟に変わったのが、今からちょうど150年前の今日・1868(明治元)年7月17日(※旧暦)。

明治天皇が発した 「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」 によって


 東 京 府

 

が設置されてからのことでした。

 

元々〝江戸〟の範囲・境界ははっきりしておらず、1818年に幕府から出された江戸朱引図によると

『東は中川まで、西は神田上水まで、南は目黒川辺まで、北は荒川・石神井川下流まで』

 

とされ、当初の〝東京〟もそれとほぼ同じ範囲 (※現在の千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区・品川区の一部・目黒区の一部・渋谷区・豊島区・北区の一部・板橋区の一部・荒川区) を指していました。

ただこの〝東京〟という地名はこの時に新しく考案されたわけではなく、1823年に佐藤信淵なる人物が著した 『混同秘策』 で国防強化のために江戸に都を移し、江戸を東京、大阪を西京とし、京都と合わせて三京にする・・・という構想を既に述べていました。

これに影響を受けた大久保利通が、東京という改称を建言したそうな。 

 

ただし当初は〝東〟という漢字を使用したそうで、また読み方も明治中期までは 「とうけい」 だったとか。

 

現在でも東京・横浜地区を総称して 「京浜(けいひん)地帯」 というのも、当時の名残りかもしれませんネ。

東京府庁は、幸橋内(※現在の千代田区内幸町)にあった元大和郡山藩柳澤家の上屋敷に設置されました。

 

また初代府知事には尊王攘夷派の公家で当時江戸府知事に任じられていた烏丸光徳(1832-1873)が、そのままスライド任命されました。

               

 

もっとも彼は、着任後僅か4ヶ月足らずで退任してしまいますが・・・。     

 

その後の東京の歴史は、概略以下の通り。

 

1878(明治11)年 郡区町村編制法により、麹町区・神田区・日本橋

              区など15区を制定。

 

1889(明治22)年 特別市制により、『東京市』 に。

 

1932(昭和 7)年 新たに20区が定められ、東京市は35区に。

 

1943(昭和18)年 東京都制が施行され東京市は廃止し東京都に。

 

1947(昭和22)年 地方自治法公布により、35区を23の特別区に

              改編。

 

・・・現在の形になるまでには、結構紆余曲折があったんですネ。

※23区制移行に関する過去記事は、こちら。(↓)


 

さてここで、皆さんにクイズを一問。

 

日本の首都は、どこ?】

 

おいおい、そんなの東京に決まってるだろう・・・まず全員がそう答えられるでしょうが、実はコレ厳密には正解と言い切れないんですョ。

 

というのも、〝東京が日本の首都である〟とは、どの法律にも明文化されていないそうですから。驚き顔 ヘェ~

 

日本では歴史上、皇居 (天皇の住まい) の所在地を〝都(みやこ)〟≒首都という扱いでした。

 

現在は皇居を含め国会・内閣・最高裁判所の3権とも東京に集中していますから、実質的に首都機能が東京にあるのは間違いないところ。

しかし明治天皇が京都から江戸城に転居した際、明確に遷都を言明しておらず、その後も大嘗祭等の皇室行事は京都で行なわれてきました。 (※史上初めて大嘗祭が東京で行われたのは1990年のこと。)

 

うやむやというか、なし崩しというか、ファジーというか・・・こんなところにも、日本らしさが表れていますょネ。

 

 

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