今から35年前の今日、私が住む東京都練馬区・・・と言っても自宅からはかなり離れた大泉学園町で
練馬一家5人惨殺事件
が起きたことを、ご記憶の方はいらっしゃるでしょうか?
犯人のAは、1935(昭和10)年秋田市に生まれました。
Aの父は会社々長で、日本大学を卒業した彼は父の会社に就職しましたが、24歳の時に父親が死亡。
その遺産相続で揉めた挙句、実弟を包丁で切り付けて失明させ、殺人未遂で懲役3年の刑を受けた前科が。
出所後Aは上京し、40歳にして不動産鑑定士の資格を取得すると6年後に独立。
そして1983(昭和58)年2月に、彼は練馬区大泉学園町にあった競売物件の2階建て住宅を1億600万円で取得。
当時の立ち退き料相場500万円を支払っても転売すれば1,000万円以上の利ザヤが稼げると踏んで、銀行から自宅を担保に1億6,000万円を借金して勝負に出ましたが、思わぬ誤算が彼を待ち受けていました。
それは、その買収物件に住んでいたSさんが立ち退きを拒んだこと。
実はSさんにも容易に立ち退けない事情がありました。
彼の義父がその建物の所有者だったのですが、その義父が事業に失敗して競売にかけられたため、少しでも立ち退き料を吊り上げようと画策していたのです。
そんな事情を知らないAはSさんに立ち退きを迫るべく日参したものの、毎回門前払い。
一度は 「訴訟を取り下げれば立ち退く」 というSさんの言葉を信じ取り下げたものの、それもSさんの引き延ばし作戦に過ぎませんでした。
そのままずるずると時は流れ、Aは逆に転売先に違約金3,000万円
を支払う羽目になり破産の危機に。
その引き渡し期限だった6月30日を目前に控え精神的に追い詰められたAは、引き渡しに応じなかったSさんに強い恨みを抱き、殺害を決意。
6月27日午後3時前、金づち2本と着替え用のジャージを入れたバッグを手にした彼はSさん宅へ。
応対した奥さんに 「主人は不在です」 と素っ気なく言われたSは、奥さんを追って侵入。
6歳の三女と1歳の長男の目の前で奥さんを金づちで撲殺すると、泣き叫ぶ2人の子供も殺害。
更に学校から帰宅した9歳の次女を、そして午後9時過ぎに帰宅したSさんをも殺害。
遺体を浴室に運んだAは犯行現場で仮眠を取った後、遺体をバラバラに・・・その後の犯行はあまりに凄惨なので、ここで書くことは控えさせていただきます。
そして翌日午前9時頃、電話が通じないことを不審に思ったSさんの義母から頼まれた隣家の主婦が勝手口から中を覗いて様子がおかしいことに気づき、報告を受けた義母が通報。
かけつけた警官によって、Aはあっさり逮捕されました。
Sさんの長女だけはたまたま当日林間学校に行っていたため難を逃れましたが、果たしてただ一人残された彼女にとって不幸中の幸いと言えるかどうか・・・。
「自分は正常です。 Sの奴は、骨まで粉々にしてやりたかった。
妻と子供を殺したのは、可哀想だったと思います。」
と供述したAに下された判決は、当然死刑。
最高裁で判決が確定してから5年後の2001年12月に、刑が執行されました。
もちろんAに同情の余地はありませんが、最愛の娘や孫3人を失ったSさんの義父にも責任が無かったとはいえない、まさに欲をかいた末の悲劇でした。
大泉学園町の犯行現場はその後区画整理され地番が変わりましたが、当該物件が立っていた地番は欠番になっているとのこと。
なお、この事件を基に書かれたベストセラー小説が、こちら。
『理 由』 (宮部みゆき・著 朝日新聞社・刊)
まだ手に取っていらっしゃらない方は、この事件を念頭にお読みいただきたいと思います。
唯一人生き残った長女は、現在45歳。
幸せな人生を送っていてくれれば良いのですが・・・。