民族楽派 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日はプロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共に〝ソビエト3巨匠〟の一人として並び称される作曲家、

 アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン

       Aram Il'ich Khachaturian


の命日・没後40周年にあたります。

       

プロコフィエフショスタコーヴィチに関する過去記事はこちら。(↓)

  http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-12044430106.html

  http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10911857885.html

ハチャトゥリアンは1903年、アルメニア人で製本工の父親の息子としてロシア帝国支配下のグルジアに生まれました。

コーカサス地方の民族音楽に親しみながら成長しましたが、決して最初から音楽家を目指したわけではありませんでした。

1921年に大学進学のためモスクワに向かう途中で演奏会に出た時に才能を見込まれ、本格的に音楽を勉強すべく翌年にグネシン音楽専門学校のチェロ科・作曲科に入学。

そして1929年から5年間にわたりモスクワ音楽院で学びました。

在学中に恩師の弟子ニーナ・マカロワと結婚した彼は、1936年に発表したピアノ協奏曲で頭角を現します。

更に1940年には名演奏家オイストラフに捧げたヴァイオリン協奏曲を発表し、その翌年プロコフィエフやショスタコーヴィチ同様にレーニン賞を受賞して、作曲家としての名声を確立しました。


しかしその2人同様、彼も時代と政治に翻弄されてしまいます。

1944年にソ連邦アルメニア国歌を作曲し、1948年には映画音楽も手がけてチェコスロバキア国際映画祭個人賞を受賞したものの、1948年には反民主的形式主義的な傾向を持つと批判され、作風を変えるよう強要されてしまいます。

その後数年間は、スターリンや共産党を礼賛するオラトリオ・カンタータなどを不本意ながら作曲。

しかしスターリン死去後の1958年に名誉を回復すると、作曲だけでなく指揮者として活躍した後、1978年5月1日に74歳で没しました。

       

さて最後に、彼の代表的な作品を2曲ご紹介しましょう。

まずはバレエ音楽・ガイーヌ(1942年作)から『剣の舞』を、小澤征爾氏の指揮でお聴きください。



クルド人が手に剣を持って踊るイメージで作られたこの作品は歌謡曲などにもアレンジされていますので、耳に残っている方も少なくないはず。

私自身、音楽の授業で初めて聴かされて以来、この曲が大好きなんです。

ただ彼自身はあまりにこの曲が有名になったため他の作品にスポットが当たらなくなってしまったことにご不満だったようですが・・・。あせあせ

そして、もう一曲・・・もしかしたら、日本人にはこの方が馴染みがあるかもしれません。




1940年に作曲された、この『仮面舞踏会』・・・かつてフィギャアの浅田真央選手が使用したことを思い出された方も多いはず。

お聴きの通り、非常に民族音楽の影響が強い作風だったことが分かります。

1963年には来日もしており、アルメニアの紙幣に肖像画が使用されているハチャトゥリアンの名を、浅田選手のフリーの演技共々記憶に留めていただきたく・・・。笑2



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