今日は、クイズからスタートです。
地中海にあって、温暖な気候で素晴らしい自然景観とクノッソス宮殿など多数の遺跡を有する長さ260km・幅12~60kmという葉巻型の細長いギリシャ領最大の島の名は?
海外旅行がお好きな方なら、もうお分かりですょネ。 そう、正解は
クレタ島
Crete
〝エーゲ海に浮かぶ真珠〟とも称されるヨーロッパ有数の観光地ですから、行かれた方も少なくないでしょう。
画家エル・グレコや歌手ナナ・ムスクーリ、そしてノーベル文学賞詩人のオデッセアス・エリテタィスを輩出し、毎年多くの観光客が訪れる一見平和なこの島も、第二次大戦が終わるまでは大国の領有権争いに巻き込まれていました。
古代ローマ帝国やヴェネチア共和国に支配されてきた同島は、1669年からオスマン・トルコ領に。
しかし1830年に独立戦争を経てギリシャ王国がオスマン・トルコから独立を果たすと、クレタ島に住むギリシャ人の間で自治や独立を目指す運動が起きます。
オスマン・トルコは自治やギリシャ語の使用を認めるなど懐柔策に出ますが、ギリシャ系住民は納得せず、1896年末から大規模な反乱が勃発。
ギリシャはそれを支援しようとしますが、バルカン半島での混乱を嫌った西欧の列強は艦隊を派遣してクレタ島を封鎖。
仕方なくギリシャはクレタ島から軍を撤収し、クレタ島とは逆の北に位置するマケドニアの併合を目論み兵を派遣。
46,000人のギリシャ軍と60,000人のオスマン・トルコ軍が宣戦布告を行った翌日・・・すなわち今からちょうど120年前の今日・1897年4月18日に激突し、『希土戦争』 が勃発。
兵士の数で上回るオスマン・トルコが戦況を優位に進め、開戦から1ヶ月後のドメコスでの戦いでオスマン・トルコが決定的な勝利を収め、ギリシャ軍は総撤退し勝敗は決しました。
せっかく守ったクレタ島の領有権を、オスマン・トルコは1913年の第一次バルカン戦争で放棄しギリシャ領に。
しかし安心したのも束の間、1941年に第二次世界大戦が勃発するとイギリス軍が進駐し、更にドイツ軍が彼らを追いかけるように進軍し、激戦の末イギリス軍を駆逐。
その後島の2/3をドイツが、残り1/3をイタリアが支配しましたが、ドイツ降伏後再びギリシャに支配権が戻り、現在に至っています。
関係各国の動向や歴史を顧みると、領土・領海に対する支配欲がいかに強いかがよく分かります。
これは決して地球の裏側だけのことではありません。
尖閣諸島(や竹島)も同じ・・・いつ何時他国が侵略・占有してくるか分からないのです。
「尖閣などくれてやればいい」 という妄言を吐いた国会議員が過去にいましたが、世が世なれば銃殺刑もの。
私たち日本人は、もっと領有権について関心を持ちそれを狙う隣国の動きを警戒すべきでしょう。
彼らは、日本国憲法の条文など全く関係なく攻め込んできますから。