美 女 | ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。


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現在、世界大会としてはミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス・インターナショナル、ミス・アースという4つのメジャー・タイトルがあり、日本でもミス日本を始め様々な地方自治体や企業が主催する大会がたくさん・・・今日はそのミス・コンテスト、いわゆる

 ミスコンの日

なのだそうな。

これは、今からちょうど110年前の1908(明治41)年3月5日に、シカゴ・トリビューン紙の依頼により、時事新報社主催の世界美人コンクール・日本予選として、『良家の淑女』 写真コンテストの発表が行われたことに由来します。

〝新興の日本帝国は、一事一物決して 人後に落つべからざるのみならず、場合によりては自ら進んで大いに薦むるの必要あるに当り、あたかも良し、此挑戦状は、我に与ふるに絶好の機会を出てせるものに非ずや。(中略)遂に断然応諾の書を作り、敢て日本美人写真募集の大計画を発表せり〟

という、随分と勇ましいというか大袈裟なスローガンで募集されたこのコンテストは、芸妓さんや女優・モデルなど、いわゆるプロの参加は認められせんでした。

しかし総額3,000円(現在の約400万円前後)という賞品につられてか、初めての大会にもかかわらず7,000人が応募。

ただし現在のように参加者がステージ上に一堂に会することはなく、あくまで彫刻家・高村光雲ら芸術・芸能界から選ばれた13名の審査員による写真選考のみ。

その結果、栄えある日本初のミスコンで最優秀賞を獲得したのが、学習院女子部3年に在学中だった、16歳の末弘ヒロ子さん。

       

失礼ながら、21世紀の現代でも十分通用する美人ですょネ。

彼女は福岡県の小倉市長・末弘直方氏の四女で、舞踊や茶道・華道、ピアノや琴も嗜む所謂良家のお嬢様。

地元では〝小倉小町〟と評判の美女でした。

ですから審査員ほぼ全員の推挙で優勝したのも十分頷けますし、大会後に数百もの縁談話が父親宛に持ち込まれたのも当然でしょう。

ところが、事態は思わぬ方向に進んでいってしまいます。

当時学習院の学長を務めていた乃木希典・陸軍大将が彼女の最優秀賞獲得を知るや、
 

「自分の美しさを誇示するとは如何」

と激怒し、彼女を諭旨退学処分にしてしまったのです。

       

現代ならこの処分は世間から猛烈に批判を浴びたでしょうし、本人が地位保全の訴えを起こしかねませんが・・・なぜか末弘さんは黙って学校を去りました。

しかしその後、乃木大将は彼女の義兄が本人に内緒でミスコンに応募したことを知り、処分を早まったことを深く後悔。

罪滅ぼし(?)のため、彼は末弘さんのために良い縁談を探すことに。

中々お相手が見つからなかったそうですが、事情を知った野津道貫・陸軍大将が

「うちの長男では、どうか。」

と助け船を出してくれ、将来貴族院議員になることが決まっていた長男の野津鎮之助・陸軍少佐との縁談が成立。

       

ご両人は、乃木大将の媒酌でめでたく結婚と相成りました。

おそらくミスコン優勝や退学がなければ、末弘さんの人生は全く違ったものになっていたでしょうネ。

このエピソードは、ある意味乃木大将の誠実な人柄を表す〝神話〟のひとつとなっています。

しかし一方で、双方の父親はかねてから懇意であり、縁談は乃木大将の出馬以前から決まっていたという説もあるとか。

真相は分かりませんが、ここは媒酌人を務めた乃木大将に花を持たせてよろしいかと・・・。

ここまで大袈裟でなくとも、ミスコンには様々な女の戦いや裏話は付き物なんでしょうが、つい最近F1でレースクイーン締め出しの報道が。
 

美女でも生きにくい世の中になってきた? うー

 

 

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