〝どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている
〇〇〇〇の おじさんは 正義の味方よ よい人よ~〟
この歌詞の〇〇〇〇に入る、漢字4文字は何でしょう?
おそらく私と同年代以上の中高年世代の方なら、すぐお分かりでしょう。そう、正解は
月光仮面
今や伝説と言っていい、この人気連続テレビ映画の第1回がKRテレビ(現・TBS)で放映されたのが、今からちょうど60年前の今日・1958(昭和33)年2月24日のことでした。
日本初のTVヒーローと言っていい月光仮面誕生の裏側には、当時制作に関わった人々の涙ぐましい努力と工夫が詰まっていました。
この番組が始まる前、同じ時間枠で放映されていた時代劇の連続ドラマが低視聴率に喘ぎ、KRテレビは武田薬品がスポンサーを降りる危機に晒されます。
同社と関係が深かった広告会社・宣弘社は、降板を阻止すべく宣弘社プロダクションを設立して自ら番組制作に乗り出すことに。
小林利雄・宣弘社々長(1921-2007)は、当時の相場の10~20%の低予算で制作する必要に迫られたためカネのかかる時代劇ではなく、スーパーマンのようなヒーローを登場させる現代劇の制作を決意。
原作を、後に『骨まで愛して』『伊勢佐木町ブルース』など数々のヒット曲を世に送り出した作詞家・劇作家の川内康範氏(1920-2008)に依頼。
実はこの小林社長・・・東京駅の巨大クリスマス・デコレーションや銀座のネオンサイなど繁華街の斬新な屋外広告を次々に設置し〝銀座の夜を支配する男〟などと異名を取ったアイデアマン。
その想像力・企画力は、この番組制作でも遺憾なく発揮されました。
小林社長と月光仮面
ヒーローは人々の苦難を救済することから菩薩をイメージし、当初は日光菩薩の名を借りた〝日光仮面〟というネーミングが考案されましたが、更にこれを月光菩薩から〝月光仮面〟とし、これが最終決定に。
モデルは、極真空手の大山倍達館長だったそうな。
製作費を切り詰める関係から、監督は弱冠26歳の船床定男さん、主役・祝十郎役を当時まだ東映の大部屋俳優だった大瀬康一さん(後に『隠密剣士』などの主役として活躍)を抜擢。
その他の撮影スタッフも無名の新人を各所から集め、時には宣弘社の社員が演じたことも。
更には撮影場所も小林社長の自宅が使われ、撮影中は小林夫人が邪魔にならぬようホテル住まいをしたとか。
またロケも小林社長宅周辺、カメラはゼンマイ式の小型カメラを使用。
バイクはホンダから借り受け、効果音は東映から無断借用するなど、コスト削減は徹底されました。
当時の常識を覆す超低予算番組でしたが、いざ放映されるとたちまち大反響を巻き起こし、平均視聴率は40%・最高視聴率67.8%を記録。
川内氏が作詞した冒頭ご紹介の主題歌『月光仮面は誰でしょう』は子供たちの間で大流行し、子供向けとしては異例のレコード10万枚以上を売り上げました。
大ヒットを受けて番組は当初予定の3ヶ月から大幅に延長され、放送時間も10分から30分に、そして予算も15万円から70万円にアップ。
小林社長にしてみれば、してやったり・・・だったのですが、これだけ反響が大きいと必ず足を引っ張られるのが、世の常。
月光仮面の真似をして屋根から飛び降りた子供がケガをしたり亡くなる事故が起き、新聞・週刊誌から〝有害番組〟と批判され、川内氏が週刊新潮を訴える事態に発展。
結局、翌1959年7月に番組は打ち切り・・・その最終回の視聴率は42.2%だったそうですから、何とももったいない限り。
しかし月光仮面は、その後も劇場映画化やアニメ化されるなど多くの人々に親しまれました。
私自身はこのテレビ映画シリーズは知りませんが、アニメにはお世話になりました。
有害番組と名指されましたが、同番組のコンセプトは
「憎むな、殺すな、
であり、悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、銃を撃っても威嚇するだけで人命は決して奪わなかったとか。
そういう意味でいえば、昨今のドラマやアニメの方が余程有害だと思うんですけどネ。
それでは最後に、昔懐かしい月光仮面のオープニングを、こちらでお楽しみください。
昭和の香り、プンプンですョ!