ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。


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今からちょうど1,000年前の今日・1017(寛仁元)年12月4日に、あの藤原道長が太政大臣に就任しました。

奇しくもそれから11年後の同じ日・1028(万寿4)年12月4日に彼はこの世を去るのですが・・・。

※道長の生涯に関しては、こちらの過去記事をお読みください。(↓)




さて今日は、彼がその役職に就いた

 太政大臣

について取り上げます。

皆さんは、「太政大臣って、何?」 とお子さんに聞かれたら、どう答えるでしょうか?

「う~んと、凄く偉い人!」 とは言えるでしょうけど、どれくらい偉いのか? となると、意外に知らない方が多いかも。

 

太政大臣とは、律令制度における太政官の筆頭長官、つまり官僚の最高位にあたる日本独自の地位。

一般的に太政官の最高位は左大臣・右大臣だったので、天皇をする訓導する特別な官僚と位置付けられ、為政能力だけでなく人格的にも優れた人物が付くべき地位とされたそうな。

故に常時その座に就く者がいたわけではなく、空位の時代も。

最初の太政大臣は、671年に任命された大友皇子。

 

それから前述の藤原道長・平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康等々、錚々たる名前が連なり、(亡くなってから名誉としてその称号を受けた者を含め)累計で95名がその最高位に附きました。

それでは、ここでクイズです。

その95人目、最後の太政大臣となったのは誰でしょう?

ヒントは、この方。(↓)

       

って、この写真をご覧になっただけで名前が出てくる方は、かなりの歴史マニアかも。 正解は、

 三条 実美 公爵 (1837-1891)

名前を聞いても、「誰? それ。」 って方も少なくないでしょうネ。
あまり幕末・明治維新の歴史の中では名前が出てこない方ですから。

彼は尊王攘夷派の公家で、京都からわざわざ江戸に赴いて将軍・家茂に攘夷を促した人物。

長州とのつながりが深く、王政復古で表舞台に復帰すると、新政府で議定という新しい官職に就き、翌年には副総裁に。

そして1869年に右大臣となり、2年後太政大臣に就任しました。

明治の元勲の一人として、名誉職に祭り上げられた感もありますが、その後1885(明治18)年に太政官制が廃止されて内閣制度が発足し、同時に1,200年以上続いた太政大臣というポストは消滅。

故に三条侯爵が最後の太政大臣だった・・・というわけです。
(三条公爵は、その後右大臣にスライドしました。)

【余 談】

太政大臣同様、歴史に良く出てくるのに実はあまり分かっていない地位について以下に列記します。


◆ 関 白 

 

 成人した天皇の助力をして政治を行う役職。

◆ 摂 政

 

 天皇が幼少だったり女性の場合、また病気で政治が行えない

 時に、天皇に代わって政治を行う役職

◆ 征夷大将軍

 

 もともとは平安時代に蝦夷(現・北海道)の豪族を征伐するため
 に置かれた臨時の役職。 

 しかし源頼朝が鎌倉幕府を開いて以降の武家社会においては、

 軍事・政治の両権力を掌握する最高権力者という意味合いに。

 

 

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