ウルトラの父 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

私が子供の頃、胸をときめかせながら見ていたTV番組・・・『ウルトラQ』『ウルトラマン』 シリーズ。


これらの制作を一手に引き受け、当時〝特撮の神様〟として世界的にその名を轟かせていた円谷英二が68歳でこの世を去ったのは、1970年の今日・1月25日のことでした。



1901(明治34)年に福島県の須賀川町に生まれた英二氏、学業は大変優秀だったそうです。


飛行機のパイロットに憧れた英二少年は模型飛行機作りに没頭する傍ら、10歳の時には鑑賞した活動大写真に触発されて手製の巻紙映画を作ったりする器用な子供だったとか。


飛行機への憧れが絶ち難く、上京後「日本飛行機学校」に入学するものの、同校が墜落事故により活動を停止したため退学を余儀なくされます。


その後飲み屋での喧嘩の仲裁が縁となって映画界に入ることとなり、カメラマンとして実績を積んでいきました。


創意工夫を重ね、様々な新しい撮影法を編み出した円谷氏にとって大きな転機が訪れたのは1933年、アメリカ映画・『キングコング』を観た時の事でした。


その斬新な撮影技術に衝撃を受け、以来特殊撮影の研究に没頭していく円谷氏は、「戦中に戦意高揚映画を作った」として公職追放に遭うものの再び映画界に復帰、1963年に自ら円谷プロダクションを立ち上げ、テレビ界に進出して数々の名作を手がけたのです。


           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

             <円谷英二氏とウルトラマン・ファミリー?>


1966年に放送が開始された『ウルトラQ』 (※最初は別タイトルでしたが、東京五輪・体操種目の〝ウルトラC〟にヒントを得てこのタイトルに変更になったそうです。) 、TBS幹部の不評とは裏腹に初回から34.4%という高視聴率をマーク、一躍〝怪獣ブーム〟を巻き起こしました。


私もオープニングで渦巻きがグルグル回って「ウルトラQ」のタイトルが出る場面・・・今からすれば単純なんですが、子供の頃に感じたオドロオドロしさと相まって、はっきり記憶しています。


その翌年から始まった 『ウルトラマン』 も、最高視聴率42.8%を叩き出すなど大ヒット、社会に長らく定着するキャラクターとなりました。


そういえば小学校の運動会の入場行進曲・・・『ウルトラセブン』 だったですものねェ笑2


当時はCG技術などは存在せず、作ったセットを壊す形の特撮だったため、現場では失敗が許されるような甘い空気はなく、常に緊張を強いられる過酷な環境だったそうですが、円谷氏は常ににこやかで、よくスタッフを連れて飲み歩き、若手からは〝オヤジ〟と呼ばれ、慕われていたそうです。


常に新しいものに興味を失わず、技術革新に精力的だった半面、ゴジラに〝シェー〟をさせるなどのサービス精神、というか茶目っ気もたっぷりだったとか・・・。


氏が立ち上げた円谷プロは、現在バンダイの子会社となっていますが・・・英二氏の精神を受け継いで、是非また子供に夢を与える作品・キャラクターを生み出してもらいたいものです。笑3


男のお子様・お孫さんをお持ちのお父さん・おじいちゃん・・・円谷英二氏に敬意を表しつつ、今日は是非スプーン2本を手に、スペシウム光線と〝シュワッチ!〟を伝授しようではありませんか!ウルトラマン