こんにちは、アリーシャです。

 

私は教育関係で働いており、学習支援も含めて小学生から中学生までの生徒と日々接しています。

 

先日、ふと仕事帰りに感じたのは小、中学生の生活における選択肢の無さです。

 

住んでいる地域も通う学校も、塾に行くか、習い事をするかなどなども、子どもの気持ちで選べることって本当に限られていると感じます。

中学生まではほぼほぼ親の意向が強いです。

小学校の中学年以降、子どもが意思を持って主張したとしても送迎や金銭面で子どもの意向が叶わないことは多々あります。

 

何より小、中学生の間は親の住居や意向によってほぼ通う学校が決まり、よほどのことがない限りそこから逃げ出すことはできません。

 

大人には職業選択の自由も転居の自由もあるのに、子どもにはその自由はなく、通っている学校や住んでいる地域が自分には合わないと感じても親から経済的に自立できるまで逃れることはほぼできず、与えられた環境で生きていくしかないのです。

 

彼らに許されるのは学校に行かないことや地域社会に参加せず引きこもることくらいです。

 

このことに気がついたとき、ああ、だから不登校や引きこもりが増えているのかなと思いました。

 

子どもにも人権がありますが、親に扶養される立場の彼らには選択肢が本当に少ないのです。

 

家庭にお金があれば選択肢は増えますが、東京都内のある程度以上収入のあるご家庭では、幼児からお受験塾や様々な習い事に通う、もしくは小学校低学年では習い事をたくさんして、中学年からは中学受験塾に通う子が多く自由に遊ぶ暇もありません。

 

私も娘をそうやって育ててきて、娘が小学生の時お友達と遊べる日は週に1日ぐらいしかありませんでした。

 

そんな子ども達には、親が習わせたいからやってるだけ、私は別に勉強や習い事も好きじゃない、とふと本音をこぼす子もいます。

 

はたから見たら、こんなにお金をかけてもらって恵まれているのにと思ったりしますが、本人は籠の鳥状態で息苦しく感じている場合もあります。

または、親に褒められたくて環境に適応しようと自分でも気づかぬうちに限界まで頑張ってしまう子どももいます。

 

その反面、小さい頃から続けている習い事や勉強が好きで、自己肯定感を育み、人生の楽しみを見つけられる子もいます。

 

そして一方では、習い事も塾も家庭の事情で諦めなくてはいけない子も多くいます。

 

大人は子ども達の持つ不自由さ、選択肢の無さに気づいてあげることが必要だと感じました。

 

子どもだって疲れます。親に気をつかって無理をしたりします。

 

親子共々、疲れきって潰れてしまわないうちに休養をとったり、緩く過ごすことも大事だと思う今日この頃です。

 

【最近読んだ本】

 

昨年からNHK のラジオビジネス英語で連載記事を書いておられる東大教授の新井潤美先生の著書です。

先生の専門の比較文学のエリアは私が大学院で勉強したものと近く、私もジェーン・オースティンについての比較文学的な見地からエッセイを書いたり、高慢と偏見やダウントンアビーのような英国の時代劇フリークなので、とても興味をもって読むことができました。

 

この春ハマっていた米ドラマ、ビッグバンセオリーと英文学の英語比較の考察もあったりで、なるほと!ガッテン!と膝を打ちたくなるような箇所もありました。

英語圏のエリートのアシスタントとして働く私が目指すは、労働者階級から努力で獲得した執事は無理でもまたは従僕の英語なのかなと思いました。とても及びませんが悲しい

 

この本で英語で聞き返すときに、Pardon? と教科書では習ったけれど、私はほとんど聞いたことがないし、使わない理由もわかり、これもなるほどとなりました。ちなみに、私はSorry?と聞き返します。