このブログに会いにきてくださり、ありがとうございます。
今回は、"わからない"という立ち位置に立つことについてお伝えしていきたいと思います。
「えいちのこ」では、"我に返る"ということを軸にしていますが、
"我に返る"ためには、「わたしは知っている、わかっている」というところから、
「わたしは何も知らない、わからない」という立ち位置に立つことが大切になります。
しかしながら、合理的であることが良しとされているため、
「わたしは知っている」というところから、
「こうしたらこうなる」などと、合理的に物事を進めていることが多いですね。
それが悪いわけではありませんが、
「わたしは知っている」という立ち位置で合理的に物事を進めてしまうと、
表面上はうまく物事が行っているように見えても、
ただ過去のデータ(創始以来の過去の誰かの体験)をなぞっているだけということになってしまいます。
たとえば、新たな体験をしたいと思って旅行に行ったとしても、
新しい発見、気づきもなく、
ただ旅のスケジュールをこなすだけになってしまうようなものです。
また、合理的なことに重きを置くと、そこばかりに意識が行くことになり、
肝心なことを見失ってしまったりもします。
それは、ロウセルフ(潜在意識を司る番人)を置き去りにしてしまっているようなものです。
合理的に物事を進めることに安心感を得ようとする方もいますが、
それは一時的な安心、満足感なので、
どうしても不安、不満足感が出てきてしまって、
先々まで自分の人生を決めつけてしまうことになったりもします。
このような方は、突然の変化、トラブルに非常に弱く、
「なんでこうなるの?」と受け止めきれないのですが、
それは肝心なことが見えていないからです。
自分で自分を洗脳しているようなものですが、
時に、自分だけでなく、家族の未来までも
自分は「わかっている」というところから、
決めてしまうこともあります。
たとえば、「子どもは将来こうなる」などと決めつけて、
しかしながら、人生は思い通りにはなりませんから、
合理的に進めてもうまく行かないことが出てきますが、
そうすると、「なんでうまくいかないの?」と
さらに子どもを縛っていったりもします。
ひろによると、
これは、親が子どものことを「知っている」と思い込んで
自分の支配欲を満たそうとしている行為だそうですが、
そういう親は、
「わたしはこの子のことを愛している」
と愛情だと思っていたりするそうです。
お子さんがいる方は、自分が
子どものことを決めつけていないか、
ぜひ振り返ってみてください。
先日、『さいあくはうみだし』で、
パートナーのお義母さんが
せんとの家に怒鳴り込みにきた話をシェアしましたが、
お義母さんは、わたしが大卒だからか
コンプレックスを持っておられたようで、
「わたしだって学校を出てる!
なんでも知ってる!」とわめいておられました。
その割には、息子のことは何も知らないし、
何も知らないから問題を放置して大問題に発展したので、
わたしは見ていて恥ずかしくなりました。
せんとは、職場等で学歴が高くて知識が豊富でも、
というところからおりられないから
苦しんでいるようにも見えました。
「わたしは知っている」というところから、
「わたしは何も知らない、わからない」という立ち位置に立ちたいという方は、
このブログでお伝えしている浄化をしてみてください。
日々、瞬間瞬間、浄化をしていたら、自分が頑張って意識しなくても、
「わたしは何も知らない、わからない」ということに
気づくタイミングがとらえやすくなります。
今回はの内容はいかがでしたか?
"知っている"というのは傲慢なことです。
"わからない"という立ち位置に立つと、
謙虚になって、新しい体験をしていくことができます。
気になった方は、ぜひ浄化をしてみてください🎶
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



