みなさん、こんにちは。わたなべです。このアメブロもありがたいことに思っていたよりも多くの方に読んでいただいてるらしく、これからも発信していきたいですね。発信ということで今回は日本で苦しんでいる方々が多そうな話題について書いていきたいです。それは、いじめ問題についてです。というのも、先日も広島で中学生がいじめによる自殺で亡くなってしまいました。「親は、学校に何度も言ったが止めてくれなかった」と語っているらしく、学校側も気づいてはいるが止められなかったそうで、、、。いじめは、人が生きている以上、大人になってもつきまとう問題です。僕も被害者にも加害者にもなってきました。でも、多くの人はいじめを喜んでしたいとは思っていないでしょう。では、なぜいじめは起こるのか。今回はそれについて考えていこうと思います。(誤解を生まないように先に言うのですが、僕はバカかもしれませんが本気でいじめゼロという目標に向かっており様々な本などを参考に今回は書いていきます。そのため、綺麗言抜きの事実のみを書かせていただきます。)

 

 

いじめは、なくならない。まず、僕が衝撃を受けたのはこの事実でした。僕らが人間であり共同体で生活し続ける以上必ず誰かが標的になってしまうのです。冒頭からこんなこと言ったら「じゃあ、いじめゼロなんて無謀じゃん」って思った人もいるかもしれません。大丈夫です。いじめは無くなりませんが、発生しなくさせることはできます。順を追って説明していきます。

 いじめは、何かというと人間の本能行動に近いものがあります。人は社会的な動物であるためより強靭な集団を作ろうとする本能があります。そこに少しでも足を引っ張っぱるやつなんていたら、強靭にはなりづらいですね。。チビや細いやつ、逆に動きにくいくらい太ってるやつは、いじめられやすくなってしまいます。マンモスを相手にしている時に、こんな奴らしか周りにいなかったら頼りないですよね、、、。マッチョ10人の方が望ましくなります。

 また、目立ちすぎるというのも、いじめの対象になりやすいです。それは、集団の資源をそいつだけが得をして得る可能性があるからです。みんなが必死に作ってるものをタダで食われたらたまったもんじゃないですよね。それを防ぐためにみんなの考え方は同じで逸脱しないのが社会を作る上で本能的に必要とされているのです。僕はよく、みんなが寝るくらいつまらない授業は遅れていきます。寝ようが遅れようが、正直どちらも授業をほとんど聞いてないのに単位はもらえます。しかし寝ていたり授業中他のことをやってる奴に僕は真面目じゃないと叩かれます。なんでやろうと思ったのですが、理由がありました。それは後で察したのですがよく考えると、この時僕はものすごく得をしていました。みんなが、僕のようにサボったら流石に教員もキレて単位をくれなくなるでしょう。しかし、自分はみんなに授業を受けてもらい単位という資源を得ていました。これは、集団としては嫌ですよね笑

 また、よくノリというものがありますが、集団はこれを非常に大事にします。KYは集団においてはナンセンスなわけです。僕もこれには、苦労してます。。とある学校でいじめで自殺した子がいて、そのクラスで聞いたところ「遊んでただけで、死んだのはあいつが悪いところがあった」と言っていたそうです。「今・ここを楽しむ」という雰囲気がそれを望まないものにとっては苦痛でしかなくなるのです。これの悪いところは人間みんながこれに飲まれやすいところです。正直、僕は先生がこれに参加しているところを何度か目撃してきました。。

 また、よく人として立派じゃない奴は叩かれます。僕は、「社会人としての常識だ」とかいう言葉がものすごく嫌いなのですが、。人が人を正すために叱る時、叱る側はものすごい悪に正義を食らわせ成敗してやるかのごとく正論を語ります。良く、学校の先生とかがやってますね。僕は、今まで叱る行為は非効率すぎるのに何でやってるのだろう。と思ってました。事実を述べます。人を叩く時、人の脳はドーパミンが出ているらしいです。だから、あれは人としてやってはいけないなんて言って正義を振るうのは楽しいからやっているそうです。(これを聞いて僕は人間というものが悲しくなりました。。。笑) 楽しいことは、繰り返したくなりよりエスカレートしていきます。こっちの方が個人的には良くないと思うので、僕はなるべく人を叱ったり道徳を説いたりはしないようにしてます。

 こんな風に見ていくと学校や閉鎖的な会社ではいじめが必ず発生してしまうのがわかるはずです。いじめは、悪い心が生むものではなく、人間の本能のバグみたいなものです。長くなってしまったので次回はその改善策について考えてみます。目指せ!いじめゼロ!わたなべでした。