気持ちや気づきが日々どんどん変化していく。

 

その都度感じたことを書き留めてる。

 

また明日は変化しているだろう。


 

 

 

 

 

反応の種をみつけて、自分に許可を出して

それに伴った行動をしていく


というのをしばらく続けてきて思うこと。




自分が主体的に決めて、やってみるということは、

その内容がどんなことであれ、達成感がある。




タブーとしていること

 

例えば赤信号で横断歩道を通るという行動を


自分でやってみると決めて通れば


それを見ていた誰かに


そのとき注意されたとしても

 

達成感を感じる。


 

 

注意されたことで


何か反応が出るとしたら


そこに自分のタネがあるということ。


反応を掘り下げてタネを見つけ

 

自分のタブーに許可を出して

 

タブーを犯してみればいい。

 

 

 

 

今まで自分がタブーとしてきたことを、


トライすることで行動の幅は広がるし、


そのあとは自分にとって心地いい範囲を


自由に選ぶことができるようになる


というのは理解した。

 



 

 

そして相手を思いやって、


相手に合わせて行動してみる


という他人軸も、


自分で、そう決めてやれば達成感が残るし


多少の疲れも案外心地いい。


 

 

それはもうすでに他人軸とはいわない。

 


 

今までいろいろトライしてきて、思ったことは

どんなことであれ主体的にやると満足感がある

ということ。

この主体的というのが自分軸だと思う。




そして私にとって、今必要なことが、


主体的でないときの自分も


受け入れるということだと思っている。



そう出来ないときこそ、


自分が自分の味方でいて、


そんな自分をクスリと笑える、


主体的でない自分を受け入れることの大切さ。

ここ、すごく大事。

 


 

 

主体的に決めて動くことの楽さや


心地よさを一度でも体験してしまえば、


こっちの方が楽でいいや、


と思うのは自然なこと。

 

 

 

 

 

 

私は何が何でも主体的であるべきと


思っているわけではない。

主体的でいることの方が楽だと言っている。

 




 

人間は楽な方を自然に選ぶように出来ている


と思うんだけどなぁ。





だから、両方を知って体験することは大事だし、


タブーを犯して自由自在に


自分の振るまい方を変えてみるということも、


やってみると案外たのしい。

 

 

 

 

 

お願い

おかげさまで


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