いのちの体験
初期の仏教教団が形成された時代。お釈迦様を慕って多くの僧侶が集まりました。その中で、周利槃特(しゅりはんどく)は今で言うところの知恵が遅れていたのでしょうか(医学的には記憶に関する障害とでも言うのでしょうか)「自分の名前さえ覚えられなかった」そうであります。
したがってお経も覚えられません。仏教教団からは、ついには追い出されることになりました。先輩方から、そんな恥ずかしいやつはいらん。使い物にならん。出ていけ‼️と追い出されたというのです。
うちひしがれて、出ていく周利槃特の前に、ただ1人。お釈迦様が出てこられてこう言いました。
『ダメな人間などいない』『皆、尊いいのちなのだ』『できることを心を込めて繰り返しなさい』そして、周利槃特に1本のはたきを渡して、「ちりを払え、あか払え」と『清め』(掃除)をしながら唱えなさいと教えられました。
いわゆる奉仕の実践。
心を込めた愛他の実践であります。
短い言葉なのでなんとか唱えることができました。それを心を込めて1年2年と、人々に心を込めて行じて繰り返していると、ある日ハッと気付きました‼️
『払うべきチリとは何か?』『払うべき垢とは何か?』本来、そんなものは無い‼️執着していたもの、こと、あらゆるものは、本来はない‼️概念も尺度もノーサイズ。払うべきチリも垢もない‼️
周利槃特は、覚られたのでした。古いお経には、周利槃特は、悟られて天眼を得たと書かれています。
※周利槃特の前世は、あまりに優れた記憶力を持った優秀な人物だったそうです。ですから、魂を生長させるために、記憶できない側の立場としてお生まれになって、お釈迦様の導きにより お悟りになったそうです。感動しますね。ダメな「いのち」、尊くない「いのち」など、この世には 一人もないのです‼️ もし、様々な障害やハンディがあって、不自由な思いをされている方がおられましたら、手を貸してあげてください。みんなで応援してあげて下さい。『代受苦』という言葉があります。みんなの代わりに苦しい思いを(代わりに)引き受けてくれている人という存在があるのです。自分の代わりに、しんどい思いを受けてくれている。そういう思いで、助け合って、感謝し合って生きることができれば、この世は天国極楽でありますね。大熊良樹拝