明けましておめでとうございまする。
年をまたいで大河なんて、初めてじゃないかな。
てっきり年末に本能寺燃えてると思ったのに、2月まで続きます。
まあ、それでもだいぶ話は飛びまして、気づいたら長女の岸は荒木家に嫁に行ってるし、長篠の戦い終わってるし。
っていうか丹波攻め始める回の次にいきなり本願寺と天王寺の戦いで、丹波攻めどうなってんねん。
というわけで、ここは解説コーナーの出番ですね。
武田信玄が病死し、足利義昭を追放し、浅井、朝倉氏を滅ぼして信長包囲網は崩れたかと思われたけども、大阪と越前の本願寺、本願寺を支援する形で敵対勢力になった中国の毛利、越後の上杉、信玄亡き後も大勢力を維持する武田、そして畿内にうようよいる三好や六角の残党など、範囲を拡大して敵はいっぱいいました。
長篠の戦いで武田を破り、越前の一向一揆も制圧し、高屋城の戦いで大阪本能寺も撃破するとやっと落ち着き、光秀に丹波攻略の命令がくだされたのでした。
なお、光秀は一連の戦いにあらかた参加しています。
明智光秀の丹波攻略は、信長派の豪族をある程度味方につけて、一進一退をしていました。
その、信長派の豪族を味方にする算段をしにいくのが先々週の話。
先週のは一進一退するのをすっとばして、天王寺の戦いに呼び戻されるところから始まります。
冒頭で「美濃に武田が攻めてきてる」と信長が言っていたのは、甲斐の猛牛と呼ばれた秋山虎繁さんです。
せっかく丑年になったので、数少ない戦国の牛さんの話もしてみましょうか。
名前に牛がつく人は信長公記の著者の大田牛一とか、花の慶次にも出てくる山上道牛(道及)とかいるけども、あだ名で猛牛と呼ばれるのは秋山虎繁さんくらいかな。
猛牛なのに虎さんです。
なお、ゲーム等では秋山信友という名前の方がおなじみだけども、いろんな誤伝があって虎繁が正解だそうで。
ちなみに、武田の武将で名前に「虎」がついてる人は信玄の父信虎の時の功臣で「虎」の字をもらった人です。
信玄の時の功臣は、信玄の本名晴信の「晴」は将軍からの一字なので与えられず、「信」は武田氏の通字なので縁者にしか与えられないので曾祖父信昌の「昌」が与えられてます。
で、秋山さん、武田の別働隊司令官なんですね。
本拠は信濃の西側、高遠だったり伊那の飯田だったりしますが、そこから独立部隊を率いて三河、遠江の徳川氏、美濃の織田氏に攻めてくるわけです。
どんな手柄があってそんな大任を任されていたのか不明だけども、武田の西南方面軍というべきポジションの司令官でした。
長篠の戦いで武田の本隊が壊滅すると、本隊の方は徳川軍にどんどんおされて領地を失っていくのですが、秋山軍は美濃に侵攻します。
美濃の岩村城は、城主が討ち死にして妻が女城主として抗戦していました。
信長の叔母、おつやの方です。
戦いは秋山軍の優勢でしたが、結末は、秋山虎繁とおつやの方が結婚するという形で終わります。
敵の大将と味方の大将が結婚して戦が終わるって、どうよ。
そんなロマンチックな戦が、先週の冒頭の「武田が美濃に攻めてきた」の一言で終わります。
さて、余談はこのくらいにして、その後の天王寺の戦いの最中、明智光秀が病で倒れます。
光秀は回復しますが、妻の熙子が献身的な看病の末に死んでしまうという悲しい物語が先週の話の終わりですね。
熙子は美濃の豪族妻木氏の娘ですが、結婚前に疱瘡を患い、妻木氏が結婚にあたって病気の娘を嫁にやることを申し訳無く思って光秀に妹の方ではいかがかと提案するのですが、光秀は構わず熙子と結婚した、という逸話もあります。
また、光秀が越前で浪人している時、髪を売って生計を支えたという内助の功の話もあります。
こちらも非常にロマンチックな話がある夫婦ですが、悲しい死別ですね。
次回はいよいよ、例の松永さんが謀反します。
なんか、前半で本能寺の変までのいろんな伏線を貼っていたような気がしてたのに、さっぱりなくなってる気がする。。。
どう描かれるか、お楽しみに!