写真は発語の遅れた児童が自ら進んでアイウエオにチャレンジしている様子です。

大変忙しくなり、暫くの間ブログを書くことはができませんでした。ご愛読いただいているみなさんに申し訳なく思っています。
理由は、昨年12月より「発語の遅れた」お子さんに悩んでいるご家族の方が急に施設を利用することとなり、今までブログを書いていた時間がなくなってしまったからです。
やっと落ち着いてきましたので、新しいシリーズを始めます。

そのテーマは・・・

「どんな障害児・者も会話し、社会生活ができる。」
という内容です。
年齢の若いみなさんは障害という言葉に慣れているかもしれませんが、昭和20年・30年・40年・50年代頃にはそんな言葉はなかったと思います。
その当時は今では差別用語ですが「知恵遅れ」「キチガイ」とか言われていました。
私にもそういう同級生がいました。しかし彼は自分が学校の勉強には合わないことを自覚していましたので「俺は小学校を卒業したら働くことにする」と言って就職しました。現在は家庭を築き立派に生活しています。
現在、最重度の知的障害者支援施設で生活する人達と当時の私の友人の違いを全く感じていません。それは単に時代の問題でしょうか。そうは思えない出来事がいっぱい出てきています。「発達障害・知的障害・自閉症・強度行動障害・精神障害etc」と言われ障害者年金をもらって生活している人たちは本当に働けないのでしょうか。働く意欲がないのでしょうか。その人権は正当に守れているのでしょうか。
現在「発語の遅れた児童が会話できるようになる訓練」をしています。ご家族が虐待をしない限り全ての児童は話せるようになります。ご家族の「虐待」とはご家族が気付かない陰湿な虐待も含みます。その1つは「無意味な発声・発語療育です」出来もしない無意味な療育を頑なにお子さんに強いることは「虐待」の何者でもありません。発声会話の遅れている子は全て適切な指導と訓練で会話するようになります。
一年以内にできない療育は全て間違いです。
残念ながら一年以内に会話できるようになる方法を使える人があまりにも少ないため出来ないと思われています。
この手法は全ての特別支援施設で有効です。施設を利用する全ての人が会話できるようになります。
そうなると施設での暴行も虐待も殺人も無くなります。その方法はたった1つ「会話出来るようにする」ことだけです。それが出来るか出来ないかの問題をできる実績のない「医学や療育」を頼りにするから出来ないのではないでしょうか。
それは実行する意思があれば出来ます。
会話出来るようにならない人は1、声帯がなく声を出す機能自体が失われている方。2、自発呼吸ができない方。3、自分の意思で「会話しない」と決めている方。だけです。
それ以外の方は全て話せるようになり、社会生活ができます。
みなさんはこの現実が信じられますか。もっと社会をしっかり見てみるとわかるようになります。
これからその「出来るようになる」ことを妨げる様々な思い込みを明らかにし、出来るようになった現実を紹介していきたいと思います。