カイロプラクティックわにの日々彼是

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11月27日(日)は枚方市総合体育館において枚方市空手道選手権大会が開催された。

 

市内16道場、各流派合同で参加選手200余名、午前9時半に型競技から始まった。幼児の部から小学生各学年、中学生、青年の部、一般段外、有段男女とランク別に分かれ4コートで進行。

 

午後も同様ランク別に組手競技が行われた。4人の副審に主審1名で赤青の旗での判定が着々と進み準決勝、決勝戦へと向かう。

 

私は救護員として参加したが、型の部は兎も角、午後の組手戦となると、各コートから招致の声が掛かる。

 

胸部、腹部、顎、手首、脛などの打撃により試合が中断しその都度ダメージを受けた負傷者の様子を確認し、試合続行か中断化を判断していくそんなケースが6件ばかリあったが、幸いにして救急車の世話になる状況に至らず無事大会は終了した。

 

それよりも私として懐かしい思い出に出くわすことが出来た。枚方市空手道連盟相談役の岡山豊彦先生とお話しできたことだ。

 

先生は来年90歳になるというご高齢だ。終戦直前短艇に爆薬を積んで敵艦に体当たりするところを8月の終戦で命拾いされた。

 

復員して大阪工業大学に復学されたが柔道、剣道などはマッカーサーの指令で禁止されており、空手だけは網の目をくぐって見逃されていたようで、摩文仁賢和先生の糸東流に入門し稽古に励んだという。

 

大学の1年先輩の西村真先生の世話になったというお話から糸口がほぐれた。

 

私もその頃高校生で西成の聖心館国場道場に毎晩通って空手の練習に明け暮れていた。その道場へ大阪窯業セメントに勤めておられた西村真先生が見え稽古を付けていただいた覚えがある。道場の審査会には摩文仁先生もおいでになったことがあり、‟来留破”の型など披露されたようだった。

 

国場道場の息子の昇(将豪)さんは私と同い年で一緒に稽古に打ち込んだりした仲だが、晩年はアメリカへわたり空手を教え、その地で没したと聞いている。

 

当時の様々な情景が蘇りひと時懐かしいい思い出に浸ることが出来た。この夜は松濤館長尾台道場の皆さんと近くの酒場で打ち上げ会を催し、武道談議にひと時を過ごした。