左から杉浦清、天地俊一監督、坪内道則助監督兼任
1950(昭和25)年のプロ野球は
8球団からセ・リーグ8球団、パ・リーグ7球団の計15球団と
倍増近くになったことで、野球選手のランクの差や
前年から採用されたラビットボールと呼ばれた「飛ぶボール」の影響で
ホームラン狂時代となった。
セ・リーグの覇者、松竹ロビンスの打線は「水爆打線」と言われ
その打棒で、中盤から一気にぶっちぎり勝率.737という高率で優勝した。
水爆打線の破壊力は凄すぎる~記録から見る松竹ロビンス1950年
しかし、セ・リーグ上位3球団は松竹ロビンスに負けない打線でもあった。
1950年の中日ドラゴンズも中々な打線です。
打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 順位 | ||
8 | 坪内道則 | .288 | 7 | 57 | 28 | 21 |
9 | 原田徳光 | .306 | 13 | 79 | 30 | 12 |
3 | 西沢道夫 | .311 | 46 | 135 | 4 | 10 |
7 | 杉山 悟 | .241 | 21 | 63 | 19 | 52 |
5 | 杉浦 清 | .296 | 26 | 96 | 13 | 16 |
2 | 野口 明 | .271 | 18 | 73 | 3 | 35 |
6 | 松本和雄 | .258 | 1 | 52 | 29 | 39 |
4 | 国枝利通 | .272 | 3 | 58 | 39 | 34 |
投手 | 杉下 茂 | .269 | 3 | 15 | ||
服部受弘 | .275 | 0 | 18 |
上は1950年は開幕戦のオーダーです。
投手は杉下茂 27勝15敗、服部受弘 21勝7敗の成績を残しています。
8人が規定打数に入っているのは
松竹、中日、大阪の3球団。長打力が高い球団です。
中日のチーム打率は松竹の.2869、本塁打179に負けますが
打率.2739、本塁打144本はリーグ2位でした。
(NPBサイトから引用)
1950年中日打線の核となる打者は
西沢道夫一塁手です。
本塁打と打点は別格なのがわかります。
小鶴誠、岩本義行(松竹)、藤村冨美男(大阪)
青田昇(巨人)と並ぶ超強打者です。
そこに草創期から活躍している
坪内道則が1番を打ち、2番に好打者原田徳光、
4番に伸び盛りの杉山悟が入り、
5番に中日監督だった杉浦清が選手に戻って
キャリアハイの成績を残した。
6番に鉄腕野口二郎の兄、野口明がこちらもキャリアハイの成績。
7番に3年目の松本和雄が29盗塁の俊足を生かし
8番、国枝利通が39盗塁の機動力で繋いでいった。
(NPBサイトから引用)
1950年のセ・リーグ打撃成績には10位に西沢道夫氏しか入っていません。
しかし、チーム成績2位を残したのは杉下茂のような大エースの存在はありますが、
各打者のバランスの良さがあったかもしれません。
水爆打線の破壊力にはかないませんが、
西沢道夫を中心に安定した得点力を持った「良い打線」です。
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データ協力 たばともクラシックSTATS鑑賞
データ協力 篠浦孝氏