いろんな話 -4ページ目

弁当日記

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂に行き、お弁当はゴミ箱に捨てていた。

ある朝母が「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま高校に行き、こっそり中身を確認した。

すると確かに海老は入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とてもたべられなかった。

家に帰ると母は私に「今日のお弁当美味しかった?」としつこく訪ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜まっていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつくいってしまった。

母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記がでてきた。

中を見ると弁当のことばかり書いていた。

「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」日記はあの日で終わっていた。「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど…喜んでくれると良いな」何で食べてあげなかったのだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。

*゚笑顔のふるさと*。

いつも笑顔でいた、あの学校を3月に卒業した...。



とても、田舎にある学校。でも..屋上からは、



綺麗な海や大きな富士山が見えます。



田舎だけど、みんな笑顔でいて都会にあるような、学校でした。



そして...3月。卒業の日。


沢山の思い出と一緒に学校を卒業した。


あの屋上から見る綺麗な海、富士山はいつみても笑顔になれた。

愛車

中学卒業してバイク屋に勤め給料から天引きで400㏄のバイクを買った。

いつもギリギリの生活だったからガソリンも満タンにしたことなんてなかった。

だいたい500円分。

通勤はもちろん、どこに行くにもバイクだった。

雨の日も溶けるように暑い日も・・・・何度も壊れては何度も直した。

給料が上がって少し余裕が出てきても他のバイクへ乗り換える事なんて考えもしなかった。

一生乗り続けていくつもりだった。

仕事でお客さんのバイクを軽トラで引き取りに行く途中、事故に遇い下半身麻痺になってしまった。

今は病院のベットの上・・バイクに乗るどころか歩く事さえままならない。

でもリハビリ頑張って絶対にまたアイツに乗ってやる!