翌朝私は朝早く起きて、弟が入院している病院に連絡をしました。母がくも膜下出血で倒れた事、9時から主治医の説明があるので弟を同席させたいことを伝え了解をいただきました。弟にも状況を伝えてほしいとお願いしました。


弟の病院は同じ市内にありますが遠くて、空いていても車で30分くらいかかります。朝の通勤ラッシュで、結局往復1時間半近くかかり母の入院している病院には9時半近くに着きました。


弟も少し状況はわかっているようで、神妙な顔をしていました。ICU近くの個室で待っていると、脳外科の主治医が現れました。はじめまして!というべきところ、高校の同級生だったので何とも微妙な感じでした。でもお互い医師と患者の家族という形で、最後まで親身?に対応してくれたと思います。


まず、昨夜の説明から。「入院した時は、グレード3(本当はグレード2)でしたが、その後再出血してグレード5になりました。自発呼吸も一時止まり、とても厳しい状態です。残念ですが手術をしても、「良くて植物状態」。私の家族なら絶対やりませんません。自分がそうなっても、してほしくないです。」と言われました。


私は説明を聞きながらずっと涙が止まりませんでした。一晩で何でこんな状況になってしまったんだろう?一言「手術して欲しかったです。」と言いました。


「急なことでご家族の気持ちの整理もつかないと思うので、できるだけお別れの時間を過ごせるように全力を尽くします。でもまた再出血があるとすぐに亡くなってしまうかもしれないし、数週間かもしれません。あまり長くなってもまたご家族も大変なんですが、それはお母さんの生命力なので自然に命が終わるまで一緒の時間を過ごしてください。会わせてあげたい身内の方は?」と言われました。


その時私は、「母は、もう二度と意識が戻ることはないんだ。」と絶望感でいっぱいなりました。「せめて、最後一人では逝かせたくないです。看取りたい。」悲しい希望を伝えました。


それから母は、ICUで4日間を過ごしました。意識が戻ることのない母を、声をかけてキレイに拭いて人間として最後まで看護してくださいました。口から入れた呼吸器の管は外せず、浮腫んで母の顔ではなくなっていったのが悲しかったです。でもコロナの感染拡大の中、私達家族にも最大限の配慮をしてくださったこと、本当にありがたく思っています。


私も毎日母のところに行き、話しかけながら乾燥しないよう保湿クリームを顔や手や足に塗ってあげました。「なんで急にこんなことになっちゃったんだろうね。よく私に電話してくれたね。もう、戻ってこれないの?パパのところに行くの?もう少し、こっちにいたかったよね。いろいろ大変だったね。もっと優しくしてあげればよかったのに、ゴメンね。もう少し、頑張って!まだ逝かないでね。」声をかけながら母の手の柔らかさ、温かさを覚えておこう。そう思いました。家にいると、毎日のように「心拍が下がってきて危ないかもしれないので来てください。」と病院から連絡がありましたが、よく頑張ってくれました。


叔父や私の子ども達、親戚の極親しい方達にもお別れの時間があり母も嬉しかったかな?そう思いたいです。


5日目から、母は脳外科の一般病棟に移りました。ナースステーションに一番近い個室でした。コロナ禍ということで、制限はありましたが面会もでき孫や曾孫も毎日のように来てくれました。だんだん尿が出なくなり、お別れの時が近づいているように感じました。