雨とアンテナと私 | にごった色

雨とアンテナと私

アメブロはリア充御用達、だと…?
なるほどね。成歩堂(知人のネタパクはどうなのか)
何だか色々解った気がします。しかし負けません。欲しがります、勝たなくても。

喪女アンテナ登録した。管理人様が登録してくれるのを待つだけです。
不備、多分ないよな。あったら焦る。


ブログネタを一つネタに書く。
「嫌いな言葉」

最近読んだ漫画にもあったんだが、「わかんない」という言葉は確かに嫌いだ。
「問題がわかんない」とかの「わかんない」はいいけど「お前がそれがいいとか言うのが解らん」やら「その趣味がわからん」との「わかんない」ってイヤだ。
最近の人のも多いようですし、気をつけねばなりませんね。
全てを自分の物差しではかるものじゃない。自分が世界中の意見にでもなったかのように、少数派意見・嗜好だからって一方的に馬鹿にすんのはどうかと思うんだ。
そういう奴の思考こそ「わからん」。解ってやるものか。解ってたまるか。
無駄なプライドは捨て去れとよく人は言うが、私にはそのプライドしかないんで、プライド捨てたらただの肉塊になってしまう。ので、捨てない。
だがしかし!である。
オーケンは言った。あとで覆したとか、反面教師的意味でしたとか、そのまんまの意味ですとか、色々説を聞いたがとりあえず言ったのだ。
“そんな俗っぽい奴らにどう評価されようと、どうでもいいじゃないか。”
そうおっしゃったのである。
ダメ人間ぼんくら、己を過信し、ただ闇雲に「俺には何か、人とは違った能力があるのだ!」と思い込む私に(別に私は俺女ではないが)その言葉がまるで一筋の光のごとく輝いたのだ。
「わからん」と否定されたとて、それは逆に「わかりもしない俗っぽいやつ」と認識する事が「こちら側」の人間には可能なんである。
ヒットチャートが悪いとは言わないが(だってファンなあの方もチャートインしてるんですよ)、ヒットすりゃ何でも聴いたり、特別ポリシーもない、ただ音楽を聴く、はやれば映画を見る、ベストセラーになれば小説を読む。
売れるのは嬉しい事だが、そのミーハー根性がいけ好かない。
もっとこう、湧き上がるハートはないのか。これぞ!これは!と自分から率先して何かしようとは思わぬのか!
絶望した!!!受動的な世の中に絶望した!!!
もっと能動的になるべきじゃないのか。これいいかも、これは!とか、もっとやってもいいんじゃない?
人の意見を聞くのはいいけれど、「皆と同じだから」「皆がしてるので」は小学生でやめよう。
皆と同じでないと苛められるってんなら、そんな皆なんて放っておいて、気に入った本なり映画なり、音楽の世界に没頭すればいい。そうすればその映画や小説のファンでつながって行けるし。
別に皆と一緒でなくたっていいじゃない。もっとポリシーもとう。そうよそれが乙女のポリシー。漢女でもいいよ。

「何から読めばいいか”わかんない”」なら書店へ行って、何か雰囲気いいかも!と思った本をとにかく買う。
お金がないなら中古店でも図書館でもいい。
話題書でもいいし携帯小説だっていいけど、せっかくだからもうちょっと別の場所の本を読むのもいい。
ハヤカワSF文庫とか。ソノラマ文庫とか。個人的にハヤカワ好きだ。装丁とかも。
新潮文庫で昭和に発刊したものを読んで「今とフォント全然違うじゃん!」となるもよし。
角川のカバーをめくって、火の鳥を見るもよし。
講談社文庫の京極を見て、文庫製本の限界を見るもよし(中身については散々語りつくされているだろうと思うので、あえて言いません)。
森鴎外の後に森茉莉を読むとか、芥川の後に太宰読むとか。
「変身」を読んだあとはゴキブリを見るとか。
中也を読みつつ「ぎーこたん、ばつたり」と呟くとか。


小説の話をしましたが、個人的に20代前半くらい~後半くらいの女性で、若干オタクだけど、若い頃は結構あれこれしてしまいました…な人に「センチメントの季節」著・榎本ナリコがおすすめ。漫画です。エロ系統ですが、エロは重要でもないです。「汚れた悲しみ」は死にそうになるほど悲しい。「くらい道」は個人的に絶望がそのままあるようでトラウマです。読み返すたび、その漫画だけ飛ばしたくなる。


要約「解らんとか言う前に自分で調べろ」