はいはいどもですぅ~
僕イニエスタです
おゲンコにしてますか、おきゃくさーーーん
本日も、ラギッド&オルタナティヴに、こーしんこーしんこーしんちゅ~~っです
よく最近では、ユーチューバーなどが炎上を起こすという現象があるようですね。
中には、意図的に炎上させて数字を上げたいという戦略だという噂もあるようですね。
また、そのようなユーチューバーの一部は、わざと自分の立場を壊しながら、新しい答えを導き出そうというヒトもいるのでしょう。
一つ言えることは、その真意について、当方ではよくわかってはいません。
でも・・・
今までの自分の印象を壊すというのは、
とてもリスキーです
世の中大きく分けると、誰よりも尖っていこうぜ!というタイプと、ま、周囲と歩調合わせて穏やかにいこうというタイプになるでしょう。
しかも昨今の動きとしては、丸い性格のヒトのほうが好まれますね。
当たりがよくて、付き合いやすいからです。
一方で、尖った発言や性格のヒトについては、目を向けようとしません。
あるいは、恐れ多くて近づけないという、一種の逆な憧れもあるみたいです。
当方の結論を言えば、どっちの性格でもいいと思うのです。
だって、どっちも世の中にいなければ面白くないわけです。
ところで、こう思うのですよ・・・
尖った性格のヒトというのは、一見すると嫌煙されますが、丸くなることは、いつだって出来ます。
意外と尖ったヒトのほうが変化に柔軟なのです。
しかし、丸い性格のヒトが尖ることのほうが、難しいといえるのではないでしょうか?
これは鉛筆を削るのと一緒の理屈だと思えば分かります。
尖った芯って、使えば自然と丸くなれます。
ところが、丸くなった芯をとがらすことのほうが、技術や道具などテコ入れが必須なのです。
先っちょを綺麗にシャープな形状にするには、工夫しなけりゃならないでしょ?
だから、本来扱いにくいのは、尖った性格のヒトよりも、元々から丸いヒトのほうなのです。
常識への思い込みが強くて頑固なのです
性格の丸いヒトは、他人の話を聞き入れているようでいて、実は意見や考え方を曲げないのです。
そのたくさんの積み重ねが、常識や世論という化け物の正体だといえます。
常識を疑え
とよく耳にします。
この本当の意味は、オブラートに包まれている心地になっている自分を、もう一度見直してみることじゃないでしょうか?
自分は尖るべきか?丸くなるべきか?
それは自分で決めればいいことです。
ただし丸けりゃ正しいともいえないでしょうし、尖っているヒトを差別するのも間違いです。
どっちにも納得のできる根本思想があるはずです。
その根底部分を、よく見聞することこそが、本当の人間らしい付き合い方ではないでしょうか?
あなたの夢を絵にします!
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