1年とか10年て、過ぎてみるとあっという間だなぁ・・・
って、当たり前の事をすごく感じてる、31歳無職です。
・・・働きますよ?そろそろ・・・。
昨年の世界一周を終えてちょうど1年経って、
また無職に戻ってるんだから説得力無いだろうけど・・・。
1年経って元通り。
何も変わってない・・・のかな?
無職・・・というのはそうなんだけど。
あ、いやいや、待って待って。
最近はただフラフラしてたわけじゃなくてね、
10月は3週間程ネパールに行っておりました。
それを「フラフラしてたんだろ」、って言われそうですが・・・。
うーん・・・フラフラしてたわけじゃないと言いたい。言い張りたい。
じゃあ何かと聞かれれば・・・バカンス?
さておき、ネパール。6年振り。
6年前はエベレストを見に。
今回はアンナプルナ・サーキットと呼ばれるエリアをトレッキングしに。
↓こんな感じのとこでした。
2週間に渡ってずっと山の中を歩いてまして、
5400mの峠越えなんかもありましてね、景色は綺麗でした。
ただまぁ正直に言ってしまうと、思ってたほどじゃなかったなぁ・・・
って感じてしまう部分もありましてねぇ。
トレッキング中からずっとそれは何でだろう?と考えてたらそれは単純に、
この10年の間にもっと綺麗な、印象深い(と自分が感じる)場所に行ってたからですよね。
ホント単純に。
スマホで昔の写真を見返しながらそんな事に気付きました。
正確には『忘れていた』、だけれども。
ヨーロッパの何気ない街並みが好きだったし、
中東の人々はウザいくらいに陽気で、
南米はうんざりするほどに広かった。
初めて長旅に出たのが06年の事だったから、
それからもう10年経ちます。
それなりに色んな場所に行って、色んな経験をして、色んな事を感じて考えて。
今回、あー色んな事忘れてたなぁー、って事を思い出した。
で、ちょうど今回のトレッキング中に瀬戸内寂聴の本を読んでたんですけどね、
(また変なもんから影響を受けてるなお前・・・とは言わんで頂きたい。
それだけフラットに物事を受け止められるのだと解釈して頂きたい・・・)
その中で、お釈迦さまの『悟り』とは『因縁』である、と書いてあった。
因縁。
何事も原因があるから結果がある、という事。
『お釈迦さまが悟りを開いた』っていうのはその『因縁』を自覚したという事なのだとか。
たったそれだけの事なんですけどね。
まぁ『知ってるだけ』と『理解している』は全然違いますから。
でで、つまりそれは過去があるから今がある、という事。
過去の経験を元に今の自分が形作られている、という事。
そしてこの今の延長線上に未来の自分が存在する、という事。
あの時の、あの出来事が今の自分のパーソナリティにどんな影響を与えているのか?
改めて一つ一つ考えていくと何だか面白いですよね。
忘れていた沢山の事も思い出したりして。
良かった事、悪かった事、未だに後ろめたい事。
そう考えると瀬戸内寂聴ってすごいよね。
「私は若い頃に散々悪い事しましたけど、大昔の事だからもういいんです(笑)」っていうあのスタンス。
それくらい開き直れる人間になりたいわw
それはさておき、『因縁』というものを考慮した場合、
そりゃあ10年も経てば人は変わるでしょうけど、
この1年の自分はどうだろうね?
かなり色々と変わっていったと思うんだけど、周りから見たらそうでもないのかな?
良くも悪くも。
だから一概に『成長』とは言えないのが辛いところだが・・・。
とりあえず『変わりたい』とは考えていたのだから、変わってはいるはず、多分・・・。
・・・自覚はある。けど、もしかしたら錯覚かもしれない・・・不覚にも。
いや、てか『成長』するって難しくね?
過去の経験を踏まえて良い変化だけを促して、悪い変化を摘み取る。
そのバランス感覚って、今更だけど難し過ぎでしょ。
それに何が良くて何が悪いかなんて、結果が出てみるまで分からんやん。
『因縁』を考慮して予期しろって?茨の道やねー。
しかも人はこれだけ色々な『因縁』の要素を忘れていくのだから、
『成長した自分』なんてもう幻覚そのものなのかもしれん。
そう考えると、これまた仏教用語で『諸行無常』ってあるでしょ?
この世には何事も変わらないモノなど無い、っての。
でもこれって人間に関して言えば、変わらないモノなど無いではなく、
忘れないモノなど無い、という事じゃなかろうか。
意味合いとしては同じ様なもんかもしれんが。
つまり、人は『成長』という『積み重ね』ではなく、
『忘却』という『上塗り』でしか変化出来ないのではないか・・・。
・・・なんてそれっぽく言ってみる。
おお、何だか有難いお言葉っぽくね?
と、そんな事をトレッキング中にずっと考えていたんだけどさ、
じゃあそれでも、少しでも忘れないようにする為にはどうしたらいいか?
じゃあそれでも、少しでも好ましいと思われる方向に変化するためには?って考えると、
それは結局、もっと『因縁』を意識する、ってことしかないんだよね?多分。
それこそジグソーパズルのように。
自分のケースで言えばさ、
子供の頃から将来どういう風に生きていけば良いのか全くイメージが湧かなくてさ、
それで10年前から海外を旅するようになったのね。
海外を旅すれば何か見つかるんじゃないかと、
かっこよく言えば『生きる理由を探すために生きてる』的な?(やべぇかっこいい)
とりあえず色々な場所に行って、色々な経験をしておけば後で役に立つんじゃないか?って。
でもそれは、イメージとしてはさ、
自分の経験とか思い出を瓦礫の様に積み上げて、
ただ山積みにしてただけなんじゃないかと。
前回書いた『生き方のヒントはそこら中に落っこちてる』って、それはそうなんだろうけど、
そのヒントを横目で一瞬眺めただけだったり、
忙しいからとりあえず後で整理するか・・・と思って乱雑に積み重ねていくうちに忘れちゃったりとかね・・・。
積み重なり過ぎて、表面しか見えなくなる。
その内に古い部分を忘れていく。
因縁を忘れていく。
買うだけ買って後で読もうとしてるうちに存在を忘れちゃった本みたいな。
だから成長とまでは言わなくても、
将来の自分にとって良いと思われる変化を促すためには。
その『因縁』の要素をジグソーパズルのように、
見やすく組み立てていかなけりゃいけないんじゃないかと。
因縁を意識する。
忘れにくいように簡潔に順序立てて整理しておく。
思い出を整理して、自分の辿っているコース、将来像を少しでも鮮明にする。
まだ見えていない、好ましいと思われるピースを予期できるように。
なんてここまで書いてきたら、このブログもデトックス、
吐き出す為に書いてるんじゃなくて、忘れない為に書いているのかもしれんですな。
よく言われるけど心の闇が深いからねー、定期的にこういう事を書きたくなっちゃう。
というわけで、
この先僕がどうなるか?も皆様との『因縁』次第でございます。
どうかこれからも変わらず甘やかして頂けるようお願い致します。
Σ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ☆