わくわくじゃんきー

わくわくじゃんきー

2014年1月からの世界一周終わったやで。
で、次は・・・アレをやってみようかな?

Amebaでブログを始めよう!




1年とか10年て、過ぎてみるとあっという間だなぁ・・・


って、当たり前の事をすごく感じてる、31歳無職です。


・・・働きますよ?そろそろ・・・。


昨年の世界一周を終えてちょうど1年経って、

また無職に戻ってるんだから説得力無いだろうけど・・・。



1年経って元通り。


何も変わってない・・・のかな?


無職・・・というのはそうなんだけど。




あ、いやいや、待って待って。


最近はただフラフラしてたわけじゃなくてね、

10月は3週間程ネパールに行っておりました。


それを「フラフラしてたんだろ」、って言われそうですが・・・。


うーん・・・フラフラしてたわけじゃないと言いたい。言い張りたい。


じゃあ何かと聞かれれば・・・バカンス?



さておき、ネパール。6年振り。


6年前はエベレストを見に。

今回はアンナプルナ・サーキットと呼ばれるエリアをトレッキングしに。


↓こんな感じのとこでした。













2週間に渡ってずっと山の中を歩いてまして、

5400mの峠越えなんかもありましてね、景色は綺麗でした。


ただまぁ正直に言ってしまうと、思ってたほどじゃなかったなぁ・・・


って感じてしまう部分もありましてねぇ。


トレッキング中からずっとそれは何でだろう?と考えてたらそれは単純に、


この10年の間にもっと綺麗な、印象深い(と自分が感じる)場所に行ってたからですよね。


ホント単純に。


スマホで昔の写真を見返しながらそんな事に気付きました。



正確には『忘れていた』、だけれども。


ヨーロッパの何気ない街並みが好きだったし、

中東の人々はウザいくらいに陽気で、

南米はうんざりするほどに広かった。







初めて長旅に出たのが06年の事だったから、

それからもう10年経ちます。



それなりに色んな場所に行って、色んな経験をして、色んな事を感じて考えて。


今回、あー色んな事忘れてたなぁー、って事を思い出した。



で、ちょうど今回のトレッキング中に瀬戸内寂聴の本を読んでたんですけどね、

(また変なもんから影響を受けてるなお前・・・とは言わんで頂きたい。

それだけフラットに物事を受け止められるのだと解釈して頂きたい・・・)

その中で、お釈迦さまの『悟り』とは『因縁』である、と書いてあった。






因縁。


何事も原因があるから結果がある、という事。


『お釈迦さまが悟りを開いた』っていうのはその『因縁』を自覚したという事なのだとか。

たったそれだけの事なんですけどね。

まぁ『知ってるだけ』と『理解している』は全然違いますから。



でで、つまりそれは過去があるから今がある、という事。



過去の経験を元に今の自分が形作られている、という事。



そしてこの今の延長線上に未来の自分が存在する、という事。





あの時の、あの出来事が今の自分のパーソナリティにどんな影響を与えているのか?


改めて一つ一つ考えていくと何だか面白いですよね。


忘れていた沢山の事も思い出したりして。

良かった事、悪かった事、未だに後ろめたい事。



そう考えると瀬戸内寂聴ってすごいよね。

「私は若い頃に散々悪い事しましたけど、大昔の事だからもういいんです(笑)」っていうあのスタンス。

それくらい開き直れる人間になりたいわw






それはさておき、『因縁』というものを考慮した場合、

そりゃあ10年も経てば人は変わるでしょうけど、

この1年の自分はどうだろうね?



かなり色々と変わっていったと思うんだけど、周りから見たらそうでもないのかな?



良くも悪くも。



だから一概に『成長』とは言えないのが辛いところだが・・・。


とりあえず『変わりたい』とは考えていたのだから、変わってはいるはず、多分・・・。


・・・自覚はある。けど、もしかしたら錯覚かもしれない・・・不覚にも。





いや、てか『成長』するって難しくね?

過去の経験を踏まえて良い変化だけを促して、悪い変化を摘み取る。

そのバランス感覚って、今更だけど難し過ぎでしょ。


それに何が良くて何が悪いかなんて、結果が出てみるまで分からんやん。

『因縁』を考慮して予期しろって?茨の道やねー。


しかも人はこれだけ色々な『因縁』の要素を忘れていくのだから、

『成長した自分』なんてもう幻覚そのものなのかもしれん。





そう考えると、これまた仏教用語で『諸行無常』ってあるでしょ?

この世には何事も変わらないモノなど無い、っての。


でもこれって人間に関して言えば、変わらないモノなど無いではなく、

忘れないモノなど無い、という事じゃなかろうか。

意味合いとしては同じ様なもんかもしれんが。



つまり、人は『成長』という『積み重ね』ではなく、

『忘却』という『上塗り』でしか変化出来ないのではないか・・・。



・・・なんてそれっぽく言ってみる。

おお、何だか有難いお言葉っぽくね?






と、そんな事をトレッキング中にずっと考えていたんだけどさ、

じゃあそれでも、少しでも忘れないようにする為にはどうしたらいいか?

じゃあそれでも、少しでも好ましいと思われる方向に変化するためには?って考えると、

それは結局、もっと『因縁』を意識する、ってことしかないんだよね?多分。




それこそジグソーパズルのように。



自分のケースで言えばさ、

子供の頃から将来どういう風に生きていけば良いのか全くイメージが湧かなくてさ、

それで10年前から海外を旅するようになったのね。


海外を旅すれば何か見つかるんじゃないかと、

かっこよく言えば『生きる理由を探すために生きてる』的な?(やべぇかっこいい)


とりあえず色々な場所に行って、色々な経験をしておけば後で役に立つんじゃないか?って。




でもそれは、イメージとしてはさ、

自分の経験とか思い出を瓦礫の様に積み上げて、

ただ山積みにしてただけなんじゃないかと。



前回書いた『生き方のヒントはそこら中に落っこちてる』って、それはそうなんだろうけど、

そのヒントを横目で一瞬眺めただけだったり、

忙しいからとりあえず後で整理するか・・・と思って乱雑に積み重ねていくうちに忘れちゃったりとかね・・・。




積み重なり過ぎて、表面しか見えなくなる。

その内に古い部分を忘れていく。

因縁を忘れていく。


買うだけ買って後で読もうとしてるうちに存在を忘れちゃった本みたいな。







だから成長とまでは言わなくても、

将来の自分にとって良いと思われる変化を促すためには。


その『因縁』の要素をジグソーパズルのように、

見やすく組み立てていかなけりゃいけないんじゃないかと。



因縁を意識する。

忘れにくいように簡潔に順序立てて整理しておく。


思い出を整理して、自分の辿っているコース、将来像を少しでも鮮明にする。


まだ見えていない、好ましいと思われるピースを予期できるように。







なんてここまで書いてきたら、このブログもデトックス、

吐き出す為に書いてるんじゃなくて、忘れない為に書いているのかもしれんですな。


よく言われるけど心の闇が深いからねー、定期的にこういう事を書きたくなっちゃう。






というわけで、


この先僕がどうなるか?も皆様との『因縁』次第でございます。



どうかこれからも変わらず甘やかして頂けるようお願い致します。

Σ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ☆









皆さんほにゃにゃちわ。








これから3週間ほど海外へバカンスに行ってくる、





31歳無職です。














31歳無職。

















31歳無職・・・。















































31歳無職・・・!!

















なんか・・・胸が痛い・・・。





コイツどうしようもなくね?感が半端ない響きよね・・・。





真人間になりたい・・・。




















という訳で、これが最後の長旅でしょーねー。





はい、デトックス入りまーす。














いやーなんかさー、思うわけよ。





旅人(バックパッカー)って、2種類いるじゃん?





『バカンス』派と、『インスピレーション得たい』派。


(『自分探し』派ってのはまだ修業が足りん奴らである)











『バカンス』派旅人って文字通り、旅を単なるバカンスと割り切ってる人。





とにかく今の旅を楽しむ事が全てで、旅に対するストレスが少なく、最終的に旅を満足して終えられる。





だから旅が終わればスムーズに非日常から日常の生活へと移り変われる。





で、数年経ってからまた旅出ようかな~?って思ったり思わなかったり。





意外とこっちの方が多数派のような気がするねー。





自分の周りもやっぱりバカンス派が多い気がする。














んで、逆に『インスピレーション得たい』派って、旅に何かを求めるタイプね。





自分の生き方とか、将来とか、そういう目に見えない正解の無い答えを欲しがるのよ。





んだもんで、旅の中で「俺の生き方ってコレだ!!」ってくらいに感化される何かに出会えればいいけど、


出会えなかった場合にはずっと堂々巡りを繰り返してしまうのね。





だからやがて、旅はしたいのだけれど、旅をしているとどうにも憂鬱になってしまう。





「自分は一体何をしているのか・・・これからどう生きていくべきなのか・・・」というストレスがね・・・。





そして最大の問題は、それくらいのインスピレーションを得られる何かに出会える事がまず無いという事( ;∀;)




















でで、何を隠そう、不幸な事に小林はもちろん『インスピレーション得たい』派なのである。





それもかなりこじらせている・・・。





かれこれ10年くらい・・・。














でも10年もそんな事をずっと考えて旅をしていれば、


徐々に自分の考え方も変わってくるわけさ。





特に、去年の世界一周中に感じた事考えた事、


それをその後の約1年の日常の中で少しずつ整理して。





んでんで何を言いたいかと言えば、


結局のところ、何をどうするにしても最後は自分で『決めたと決意』しなければ何も始まらないんですよね。


(いや、当たり前なんだけどさ)











旅をするだけじゃ都合良く生き方の『答え』が見つかることなんて無いの。





生き方の『ヒント』はそこら中に落っこちてるんだけどね。





それらの『ヒント』の中からどれかを選び取って、一生懸命頑張って『答え』を目指さなきゃいけない。





僕がこれまでに出会った『インスピレーション得たい』派の旅人は、


今にして思えば誰もがそうしていたように思える。














つまり、





10年かかって理解したのはその程度のコトでした、小林です。


Σ(ノ≧ڡ≦)てへぺろー☆(古い)





まま、『知ってる』と『理解している』はまた別物だからね。

















だから、これが最初で最後の『バカンス』派としての旅。





まー、旅に対するモチベーションが衰えてきたというのも事実なんだけど、


自分は非日常に根を張りきれる人間ではないなぁ・・・と痛感することも最近多くなってきた。





旅の刺激よりも日常の心地よさ、大事さが身に染みてくるというか・・・ね。





それに、もう旅をする中で考えられるコトは考え尽くしたと思うし、


今まで通りに旅を繰り返してもこれ以上得るモノは無いように思うので。





これから先、何をするのかどうしたいのか?すらハッキリしていないけど、


少なくとも、非日常の中で得たヒントを、日常の中で答えにしていくように行動に移さなきゃいけない段階だと思うのだ。





それがどんな些細なコトであろうとね。





でなければ、今までの10年間が全て嘘になってしまうわけだし。





要するに、これから新たな旅をする場所は日常という毎日なのであーる。





はい、デトックス終了~。














というわけで、繰り返しになりますが、


その前に最後の現実逃避として、ちょこっとバカンスに行ってきまーす。





何せ31歳無職ですからね・・・。

















31歳無職。




















31歳無職・・・。
































31歳無職・・・!!








胸が痛む響きだぜ・・・。





最近雨ばっかりでヒマだったので、
エジプトを題材にした映画を2本観てみました。


1本目はYahoo GYAO!で無料公開されていた、
『ピラミッド 5000年の嘘』というドキュメンタリー映画。





まぁまぁ面白かったですかね、コレ。


『エジプト学の固定概念を覆す』というテーマでしたが、
内容そのものよりもナレーションの煽り方がよく出来てるというか。

インタビューシーンでエジプト学者が

「当時のエジプト人がそんな事を知っていたはずはありあせん!
これらは全て偶然ですよ!」


って発言すれば、

その直後に画面が切り替わって物理学者とか数学者、建築家らが

「これらが全て偶然であるなど考えられません!
明らかに意図され計画されたものです!」


と否定するというね。


製作側はこのエジプト学者に恨みでもあるのかとw



ただ、映画内で辿り着く結論自体はもう20年以上前から言われてるものなんですよね。

神々の指紋 (上) (小学館文庫)/小学館


とか



アトランティス・ブループリント―神々の壮大なる設計図 (知の冒険シリーズ)/学習研究社



の本で言及されてるような。
僕も好きな説ではあります、もし事実ならすごく夢があるというか。
確かに・・・ツッコミどころは・・・多いですが・・・。


ともかく、エジプトに少しでも興味のある方にはぜひ観てもらいたいですね。
結構楽しめると思います。あと1週間は無料公開しているようなので。



で、2本目は『エクソダス 神と王』というの。

紀元前1200年頃のヘブライ人指導者モーセ(実在した人物であるかどうかは何とも言えない)の生涯をテーマにした映画。





これ去年の映画なんですってね。
全然知らんかった。
海外でも日本でもあんまりヒットしなかったのかな?


個人的にはかなり面白かったです。
風景とか戦闘シーンも割と良く出来てましたし、
予めモーセの生涯を知っているとニヤニヤするシーン多し。


ただ・・・ツッコミどころも・・・半端なく多し。


まずこういう時代背景の映画に白人俳優使うのやめーやとか、
何か明らかにおかしな時期にピラミッド作ってるし、
ラムセス2世がいくらなんでも脳筋過ぎるだろ・・・とか。


ま、でもそれを差し置いても面白かったです。
特にクライマックスとかね、結構感動。


それで結局僕が何を言いたかったのと言いますと、
以前に何度も同じような事書いてますが、
劇中にも登場するモーセゆかりの地、『シナイ山』が素晴らしいって事。







夜中から山を登り始めて頂上で朝日を見るというツアーがあるんですが、
これがホントに美しかった。

朝日ではなくて、登っている最中の景色がね。

感動した、という事では他で見たどの景色と比べても1番かもしれない・・・。

こう、人里離れて真っ暗な山なので星空がとても良く見える。
星空の切れ目で山の稜線が分かる程に。

そして細い曲がりくねった山道を、
ヘッドライトの灯りが1列に連なってゆっくりと登って行く。

大げさに言えば地上の星が夜空へ昇って行くように、それほどに感動的。

三脚を持ってなかったから写真が撮れなかったのが痛恨の極み。
一生の不覚!!


5年前は登山客一杯。
去年は治安の悪化と爆弾騒ぎで登山客いなかっただろうなぁ。


モーセが神に出会ったとされる『燃える柴』。
全く枯れない柴らしい。
ホントかウソか分からんが・・・。




シナイ山だけならもう一度行きたい。

ピラミッドは・・・もういいや。
周辺に居るエジプト人がウザ過ぎる・・・。