手もみ&ヒーリングくぁんいん

手もみ&ヒーリングくぁんいん

香川県の西の観音寺という町で、日々癒しをテーマにがんばっています。

あなたのニーズに必ずお答えしますので、よろしくね。

Amebaでブログを始めよう!

テーマ:

レスター、真実にとどまり、発見を分かち合う

1952年にレスターが心の平穏な状態へと大きな飛躍をした後、その真実に対する気づきは決して彼から去っていくような事はなかった。彼が不動産の取り引きをしようが、家族を訪ねようが、他の人に自分の経験を話していようが、彼は自分の内的平和な存在に留まったまま、その平和に気づいていた。人々は彼と共にいる事を好んだ。なぜなら彼は彼らを自分自身を見るのと全く同じように、つまり、完璧に美しく、全知全能で、あらゆる事に完璧であり、全て平和であるというように見たからである。この強力な知覚それ自体が感受性の強い人に投影され、各自がこのような存在である内的な核心部分を刺激したのである。多くの人々は、彼がいる前で自分自身のこの真実を経験し、より多く経験しようと意欲的になり、彼の経験を聞きたがった。

彼はいつも喜んで他の人に分かち合い、彼が行なってきた事に関して話をした。最初は特に骨を折ったり、その方向で宣伝をしなかったのだが、彼がいる所には、口コミで人が彼の話を聞こうと姿を現わすのだった。しばしば即席の集まりがニューヨークの東57番街のカフェテリアでコーヒーを飲みながら開かれた。

彼が全国を車でドライブし、途中立ち寄ったところで、誰かと話しを始めると、相手は興奮し、友人を呼び、その友人が友人を呼ぶような出来事もあった。やがて、彼の話を聞きたいと思う人が100人以上にもなっていた。その頃、レスターは何日間か滞在し、その場所のグループが大きなホテルの会議室を借り、彼のトークが始まる時間までには、しばしば1000人かそれ以上の人が集まっていたのである。

彼は自分のワークに対して何も費用を請求する事をしなかった。人々がお金を提供しても受け取ろうとはしなかったのである。彼は自分が必要とするものがあれば、その必要なものは手に入る事を知っていたのである。彼はそれを1度ならず実証していたし、不動産のベンチャービジネスも収益が高いまま続いていたのである。彼は何も必要としていなかったのである。

1958年、彼はカリフォルニアに引っ越そうとふと思った。彼はニューヨークのアパートを引き払い、新しいクライスラーと31フィートのトレーラーハウスで西へ向かって進んだ。最初の目的地はサンディエゴだったが、アリゾナに向けて運転している時、彼はセドナへの道路標識を見て、彼の内的な声が「そこへ行こう」と言ったのだった。

「なぜ?」彼は自問した。

「行ってごらん」彼の内的声は答えた。「そうすれば分かるよ」

赤い岩がそびえ立っている真っ只中にある静かな古い西部の町に車で入ってきた時、彼は、なぜ自分がセドナに引き寄せられたかを理解した。美と平和の感覚があまりにも強烈なので、彼はまるで自分の家に帰ったように感じていた。

彼は不動産業者に連絡を取り、隔絶された160エーカーの牧場を見せてもらった。そして、その不動産をローンなしのキャッシュで購入し、元の所有者がその土地に建てていた古い石で出来た家に引っ越した。

その土地は大変穏やかで、完全に隔絶されており、四方が林に囲まれていた。もっとも近い隣家は、牧場の入口の門の中にある小さなコテージを所有している女性を除外すると、1マイル離れていた。彼らは散歩に出るとしょっちゅう会っていた。そしてある日、彼女は街から遠く離れて一人で暮らす事が如何に寂しいか語った。話している間、レスターは、彼女は街の中にある小さな家と土地を、彼女のコテージと土地と交換したいのではないかと思った。彼がそれを彼女に提案すると、彼女は喜んで、彼女にぴったりな場所を見つけ、注文通りの家をそこに建てるという彼の提案を受け入れた。

彼はあらゆる仕事を自分で行なった。家の土台を掘って流し込み、壁を立て、屋根を乗せてと、全てを行なったのである。彼の健康状態は完全に回復され、若い男性の体力、エネルギー、スタミナを獲得したという事を遂に自分で証明したのである。家が完成した時、レスターと彼女は交換した。彼は新たに獲得した家をコテージと呼んだ。

今や、彼の牧場は完全に人里から隔絶したものとなり、彼は一人でそこに数年住んだ。1月に1度か2度、食料品や生活用品を買いに街へ出かけたが、それ以外は牧場で一人で過ごしていたのである。これは彼が今までまったく経験した事のない、大変異なったライフスタイルであり、彼はそれが気に入っていた。

しかし、彼が人々とワークしている事は完全に止めてはいなかった。しばしば110マイル離れたフェニックスまでドライブし、数日から1週間滞在したのだった。また、1960年代にフェニックスでアパート経営に投資していた。

数年後、彼は規則的にワークしているグループがあるカリフォルニアに、年に数回定期的に行き始めた。

彼を求めて、人々は彼が「自己の楽園」と名付けていた牧場に来るようになっていた。1961年、ダグ・ディーンという男性が初めてコテージにしばらく滞在するためにやってきた。ダグが去った後、しばらくして3人の女性がやってきた。その年が暮れる頃、他にも人が来て去っていった。そして、1975年までにいつも何人かの人がコテージにいるようになった。数人の女性は何年も滞在したが、ほとんどの人達は数ヶ月で心が穏やかになり、リフレッシュしたのだった。それから、この社会での彼らの生活の履歴を残していったのだった。

それは大変平和な暮らし方で、レスターは満足していた。彼自身や他の人が、そこから出入りする事は、その生活に付随したものであり、1952年に彼自身が発見した内的状態の広漠とした静けさを、かき乱したり触れる事は決してなかった。彼はこのようにして残りの人生を暮らせたかも知れないが、それは全ての人が自分自身でこの状態を発見してほしいという彼の願いには合わなかった。彼は、全てと一体であると感じていた。それをこう語っている。

『私が発見した事を、残りの私(訳註:つまり彼以外の全ての人という意味だと思われる)に発見してもらいたいと思っていました。そこで、しばらくしてから、この知識をより多くの人々に知ってもらう方法を考え始めたのです』

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス