「スッタ・ニパータ」
仏教の最初期のパーリ語による経典。
スッタは経、ニパータは集まり、あわせて「経集」となるが、多くの翻訳は『ブッダのことば』と題する。
その用語や内容などからみて、現在伝わる経典中の最古の資料と考えられている。
その内容はきわめて素朴で平易でありつつ、人生の真実にそのまま触れ、仏教術語を用いずに、釈迦(しゃか)の教え、ないし原始仏教の核心を、むしろ淡々と語る。仏教思想の源泉を知るのに最適の書といえる。(引用:コトバンクよりhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BF-1551846)
「スッタ・ニパータ」の1章の「3、犀(さい)の角」を、私なりに時々、解析していきたいと思います。
「犀(さい)の角」とは何でしょうか?
犀(さい)の角は一本です。
すべての存在を存在させ、その存在を変化、運動、移動させる、ひとつの動きそのもの心の象徴という、私なりの大前提からスタートしたいと思います。
41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。
仲間といれば楽しいことがあるし、子供に対しての愛情は大きいでしょう。しかし、それらはいつまでも続くものではありません。
形あるものやその関係性は、いつか終わりがくるものです。
存在や形が無い、存在や形を成り立たせている源泉動きからみれば、出会いだけでなく、別れも美しく大切なものというメッセージだと思います。
42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
自ら積極的に出会いに行くこと。
その際、足りないところを見て人を責めるたくなるのは、自分の判断基準から相手を判断するからです。
源泉動きから、出会った場合は出会い自体が奇跡です。
お互いの五感と脳がつくり出す、違った意識空間にいるから、誤解や摩擦、衝突が起こります。
脳の支配に負けることなく、源泉動きそのものの心で出会いなさいというメッセージだと思いました。
川名哲人