酒田は北前船の交易で発展した湊町

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた豪商本間家を訪ねました。


旧本間家本邸は、本間家3代光丘が幕府巡見使の本陣として建て藩主酒井家に献上し、その後拝領し本間家代々の本邸として使用しました。

書院造りの武家屋敷と本間家が生活した商家造りが一体となった全国的にも珍しい建物です。


本間家の人は薬医門や長屋門の出入を憚り、日常は脇の木戸を使っていたとのこと。


樹齢400年以上の赤松が玄関の屋根に覆いかぶさるように生えており、本間家では「門かぶりの松」とも呼ばれています。

豪奢ではないが格式高い豪邸内の見どころを案内人の方が丁寧に説明してくれました。

本間家の屋内は撮影不可、パンフレットを開いて邸内の感動を思い起こしました。


酒田風景図では旧本邸の通りを隔てた場所に本間家旧本邸別館「お店」があります。


本間家初代原光が開業した「新潟屋」以来、本間家が代々商いを営んだ場所です。

店内には実際に使用された帳場や看板、台所用品などが展示されてました。


旧本邸でもお店でも本間家が備えた消火道具の展示が目につきました。


幾度の大火に見舞われた酒田で本間家は地域の防火対策に尽力しました。


北前船で財をなした豪商本間家は日本有数の大地主でもありました。


旧本間家本邸を訪ねて感じたことは、豪商とは思えぬ質素な暮らしぶりでした。


酒田の町の大火への備え、困窮した庶民の救済、庄内藩の財政改革などに、私財を惜しげなく使ったことを酒田に来て初めて知りました。


冒頭の俗謡は、本間家の富を羨む声ではなく、その倫理観の高さを讃えたものと思えました。



山居倉庫は、酒田港に近い新井田川岸に並ぶ米穀倉庫群、明治26年(1893年)旧藩主酒井家が建てた歴史的建築物です。

白壁の土蔵造りの12棟が並び、現在も米蔵として使われてます。

横浜や金沢で観た赤煉瓦倉庫とは一味違う趣きがある倉庫群です。


広い酒田の街は駅前の観光案内所で借りた自転車で巡りました。

車社会の地方都市では市街地を巡るバス路線が極端に少なく、鉄道で来た旅行者にとってレンタサイクルは強い味方です。


酒田の街巡りの最後に訪ねたのは、港都酒田を代表する料亭「山王くらぶ」


現在は往時の料亭文化を今に伝える酒田市の施設となっています。

最終入館の2分前に到着し閉館までの約30分、

誰にも邪魔されず酒田の歴史と文化に触れるひとときを過ごしました。


ふれあいの間(元帳場)

この部屋は料亭山王くらぶのころ帳場として使われ、毎晩女将さんと馴染み客が楽しい会話を交わされてました。


夢二の間 滞在中の夢二が特に愛用した部屋

竹下夢二は酒田に三度訪ね、滞在中は山王くらぶ(旧宇八樓)を拠点に画会を開いたり象潟へのスケッチ旅行に出かけました。


北前船の間

北前船の歴史を展示してました。


酒田商人の間

障子の桟には舟を模した細工


寺社巡りの間

料亭建築の粋は障子の桟の精緻な造形


料亭文化の間 この部屋は土蔵の中です。

酒田は港を通して上方文化が入った土地柄、北国の小都市ながら料亭文化が華ひらきました。


2階の大広間に上がります。

日本三大つるし飾り「湊町酒田の傘福」の特別展示が開催されてました。


柳川の「さげもん」、稲取の「吊るしびな」は有名ですが、酒田にも「傘福」があります。


酒田のつるし飾りは、鮮やかな紅花染の傘に多彩な細工物を吊すのが特徴的です。

吊るされた細工物の一部です。


大広間に飾られた傘福は圧巻です。




大広間の奥には辻村寿三郎作の雛飾り

総檜造の館は、当時の廓をイメージし、全て廓の女性からなる雛飾りでした。

内裏雛は花魁、三人官女は留袖新造と振袖新造、五人囃子は禿たち、


酒田駅前にできた複合施設「光の湊」、酒田市立図書館や観光案内所があり、ここで酒田の町巡りの自転車を借りました(無料)

酒田で泊まったホテルもこの中にあります。

4泊5日の東北ローカル線の旅で泊まった宿はアクセスの良い駅前か駅近くのホテル、

一人旅ならセミダブルの部屋で充分です。