先日、あいの風とやま鉄道の観光列車「一万三千尺物語」で黒部駅と高岡駅を往復しました。


折り返し点の高岡駅での停車時間は15分間、

高岡市の重伝建を訪ねるのは無理でしたが、


そのチャンスは数日後にやって来ました😀


富山駅前のホテルから立山黒部アルペンルートに向かう出発時間がなんと午前9時20分❗️


この旅行社から立山駅に向かうバスツアーは立山ケーブルカーの混雑を避けるため時間調整し、

私たちのグループは1番遅い出発になりました。


富山駅から高岡駅に向かう始発電車は午前5時30分発、高岡駅までは片道20分。


ホテルに戻って朝食や出発までの余裕時間を考慮しても、高岡市内に2時間以上滞在できそう。


しかも早朝なら人のいない街並みを撮影できる✌️


ということで富山駅発の始発電車に乗りました。

金沢行きの普通電車に乗客はほとんどいません。

早朝の高岡駅に着いたのは午前5時50分


高岡市内には重伝建が3ヶ所ありますが、

庄川河口の「吉久」は遠いので、高岡駅から徒歩圏内の「金屋町」と「上町筋」を訪ねました。


高岡駅から「金屋町」まで徒歩20分の距離、

その途中に「上町筋」があります。

千保川の鳳鳴橋を渡るとまもなく金屋町です。


■ 金屋町

城下町高岡の開町に際し、加賀藩主前田利長が7名の鋳物師を招いて鋳物場を開設、

ここ金屋町に鋳物産業が根付き高岡鋳物発祥の地となりました。

細やかな千本格子造りの町家が約500mの石畳の道と共に美しい街並みを造ってます。

早朝の人通りのない金屋町、千本格子を丁寧に拭き掃除する家人を見かけました。

鋳物師の街らしく、千本格子の町家で錫の器造りや金継ぎなどの体験ができます。


金屋町から高岡駅に向けて少し戻ると、

もう一つの重伝建の街並みがあります。


■ 山町筋

城下町高岡の開町に際し、加賀藩主前田利長が近隣の城下町から町人を招き、北陸道沿に商人町を造ったことがこの町の始まり。


川越市のような土蔵造りの街並みが残ってます。

土蔵造りの街並みとなったのは、1900年の大火の復興にあたり、防火構造である土蔵造り主屋が建てられました。

土蔵造りの主屋の街並みの中に、本格的な赤煉瓦の洋風建築や、洋風の意匠を取り入れたレトロな建物も混じってました。


赤煉瓦建物は1915年築の旧高岡共立銀行本店、

第一地銀の富山銀行本店にも使われ、かつては富山市より高岡市の方が経済的に盛えたようです。

洋風の大きな商家がリノベーションされて、

ちょっとお洒落な複合施設になってました。


どちらの重伝建の街を訪ねたのは早朝だったので内部見学できる施設はまだ開いておらず、外観だけ眺めて歩きました。


山町筋から高岡駅に戻る途中、電車に乗るまで少し時間があったのでちょっと寄り道しました。


奈良・鎌倉とら並び「日本三大大仏」と称される高さ約16mの高岡大仏、

街中に忽然と姿を見せる高岡大仏は昭和8年の造立、市民から親しまれる高岡の象徴的存在で地元民から「だいぶっつあん」と呼ばれてます。


高岡大仏の少し先に高岡城跡があります。


高岡城は慶長14年(1609年)に前田利長が築城し、6年後の元和元年には一国一城令により廃城となりました。

城址には明治7年に射水神社が遷座され、

現在は桜の名所「高岡古城公園」として市民の憩いの場となりました。


「一万三千尺物語」が高岡駅に着いた時、万葉時代風コスチュームの若者が迎えてくれました。

高岡市伏木は奈良時代に越中国の国府がおかれ、大伴家持は国守として5年間滞在しました。


大伴家持は全歌数4,516首の万葉集に473首を残しており、内223首が越中時代に作られました。

高岡のトラムにはドラえもん達の顔が描かれ、

街中にはドラえもんの造形が溢れてました。


高岡市は、藤子・F・不二雄の出身地です。


駆け足で重伝建地区を巡った高岡市、もう一度ゆっくり訪ねてもいいかな、と思いました。