広大な択捉(エトロフ)と、政治決断の大きな責任 | 若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

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安倍総理は、今年5月の伊勢志摩G7サミット前に、ロシアを訪問される予定です。
ロシアは、ウクライナ問題以降、G8から追放された形になってますが、
この先も、わが日本の隣国であり、いまだに北方領土問題も抱えていますので、
欧米とは異なる日本独自の外交アプローチを是非期待したいところです。

ところで、現在の多くの日本人は、実際に北方領土を訪れた経験がないので、
この北方領土問題については、なかなか身近に感じにくいかもしれません。
皆さんは、どんなイメージお持ちでしょうか。

これまで、二島返還論とか面積二等分論などが出ておりますが、そもそも、
どれくらいの大きさかというと、一番北に位置して最も大きい択捉(エトロフ)島は、
沖縄本島の約3倍もの面積があります。
いわゆる本土4島に次ぐ大きさがあるのです。

その大きさを思うと、是非、日本の手で自然保護にも配慮した開発や有効活用を
したいものだ思いますが、今すぐ我われの手に取り戻す見通しは立っていません。

1941年、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に秘かに終結した連合艦隊は、
真珠湾の攻撃に向けて出航しました。
その4年後、日ソ不可侵条約を一方的に破棄された日本は、既に海軍を失っており、
ソ連軍によって千島列島の島々を一つ一つ奪われ、何らなす術がありませんでした。
それ以来、私たちは、北方領土を自由に訪れることができません。

アメリカとの開戦を決断したのも政治であれば、
1945年8月に入っても降伏を決断できず、
ソ連による北方領土侵攻を許したのも政治です。

その島の大きさと共に、政治における決断が持つ
重さ・大きさを感じさせてくれる択捉島です。