母の施設入所に伴い、昨年12月に実家を整理しました。
その時に古い写真があれこれ出てきたのですが、、その中の1枚に、子どもの頃から言い伝えのように聞かされてきた曽祖父、つまり私にとっての「ひいおじいさん」にあたる人の写真がありました。
一目見て、「うわ〜、お父さんにそっくり!」と思いました。
右側の人が、亡くなった父に表情も雰囲気もそっくりだったからです。
でも・・・
写真を裏返すと、そこには「左がおぢいちゃん」と鉛筆書きされていました
え・・・・っ
正直、叔父たちの顔を思い出してみても、まったく似ても似つかない・・・想像すらできないような顔立ち・・・。
本当か・・・?と疑ってしまったほどです。
でも、他にも出てきた写真は、この人が曽祖父であることを示しています。同じ顔の人が写っていました。
そんなわけで、第一印象から少しずつ変わり、
はじめまして・・・
素直にそんな風にも思った次第です。
私の実家は、いわゆる分家にあたります。
本家の五女がこの曽祖父にあたる人を婿にとり、分家として独立しました。
私たちは曽祖父の名前である「恭助さんが◯◯した」という話をよく聞いて育ちましたし、地元の古い神社の塀には「恭助」の名前が刻まれており、恭助さんが氏神様へ寄進していたことも子どもの頃から知っています。
顔も知らない、名前しか知らなかった、でもなんだか身近だった「恭助さん」と、この機会に初めて出会うことになりました。
ちなみに、曽祖父は昭和25年(1950年)に亡くなっています。今年で死後75年。
昨年秋〜冬に放送されていたドラマ「海に眠るダイヤモンド」の時代と少しかぶります。
あの頃
人々は
輝いていた
というドラマのキャッチコピーそのままに、この古い古いモノクロ写真からも生命力、輝きのようなものを感じ取ることができます。
生命の連なりを実感し、私が彼らが生きてきた「物語」のその後を生きているのだと、そんな風にも思いました😊
それにしても恭助さんは、自分が死んで75年後に、こんな風に自分の写真が公開されるなんて想像できなかっただろうなと(笑)。
もちろん私も、数十年後にどうなっているかなんて、わかりませんが