【バルト海沿岸で凍える】: エストニア/リトアニア/ラトビア | 世界あちこち散歩

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今から20年前、2001年の                12月は非常に忙しい月でした。

当時の私は仕事で東ヨーロッパに

駐在していたのですが、翌月の

2002年の1月に、日本の本社に

帰任する事が決まっていました。

 

その為、仕事の引継ぎや引越し等、

帰任の準備でも多忙を極めていた

ですが、それに加えて、

ヨーロッパの未訪問国を、

出来る限り帰任前に訪問して

おきたいとの強い思いから、

かなり無理な旅行プランを立てて

いました。

 

旅先に選んだのは、いわゆる

バルト3国」に属する

ラトビア」と

リトアニア」。

 

選んだ理由は単純で、一般的に

西ヨーロッパ」と呼ばれていた

資本主義」の国々は、

既に全部訪問済みだった事。

 

そして、

東ヨーロッパ」と呼ばれていた

社会主義」(既に資本主義に

転換した国も含む)の国々に

ついても、元々それらの地域を

担当する為に駐在していたもの

ですから、大半は訪問済みで、

その当時未訪問だった国々の

中から、ビザの取得が不要など、

訪問が楽な国が、ラトビアと

リトアニアだったのです。

 

但し、旅程はハードでした。

 

何しろ、帰任前で、やるべき事が

沢山あるので連続して休むのが

難しい中、この月の中旬には、

帰任決定前に既に予約していた

セーシェル」への旅行が控えて

いたのです。

(こちらについては以前別の記事で

投稿しましたので、宜しければ

以下のリンクよりお読み下さい)



その結果、週末の2泊程で、

わざわざ2回に分けて、

それらの2ヶ国を訪問せざるを

得なくなってしまいました。

 

因みに、バルト3国のもう1つ、

エストニア」については、

それより8年程前の、

1993年の3月に訪問済み

なので、これら3ヶ国を、

連続では無く、1ヶ国ずつ

訪問する人はかなり珍しいのでは

ないかと思います。

 

さて、ついでですから、2001年の

ラトビア、リトアニア訪問に関する

お話の前に、バルト3国括りと

言う事で、1993年のエストニア

訪問についても書かせて頂きます。

 

その当時は、

エストニアが1991年8~9月に

ソビエト連邦」から独立してから

まだ1年半程しか経っていない

頃でした。

 

又、私自身もまだ旧・東ヨーロッパ、

或いは旧・ソビエト連邦の国は

1つも訪問していない時期でした。

 

ですが、丁度、

フィンランド」のヘルシンキに

旅行する機会があり、そこから

船で2時間程でエストニアに

着く事が出来、日帰りツアーで

行けばビザも事前に要らないと

知ったので、ヘルシンキに着くなり、

ツアーの予約をしたのです。

 

ツアーでは旧市街の名所を数か所

巡り、趣のあるカフェで休憩後、

出発まで自由時間と言う

スケジュールでした。






エストニアの首都である

タリン」は中世の建造物が残る

非常に美しい街でした。

 

一方、今でこそ、近代化が進み、

特に行政の電子化等、

ITの面では日本の方が遅れている

ぐらいですが、当時のエストニアは

私から見ると、旧ソ連の雰囲気が

まだ残っている様に思いました。

 

又、カレンダー上は3月でしたが、

東京の真冬位の気候だったと

記憶しています。

 

それから8年経った2001年の

ラトビアとリトアニアへの旅行に

話を戻しますが、12月と言えば、

カレンダー上も完全に冬。

 

その時期に、敢えて北ヨーロッパの

様な寒い地域を訪問する事は、

通常は私はしないのですが、

当時は、前述の様な理由で、

この2か国訪問を決めました。

 

まずは、12月初旬のラトビア。

 

寒い。寒すぎる。

いや、寒いどころか、凍る。

 






エストニア同様、ラトビアの首都、

リガ」も中世の街並みが残る

美しい所なので、夏であれば、

さぞかし観光が楽しめるのだと

思いますが、一日中外に出ては

いられない体感温度です。

 

ですので、数時間観光したら

ホテルに戻ってカフェに入り、

香辛料とかドライフルーツとかが

入っているホットワインで身体を

温め、その後しばらくしたら

再び外に出て観光。

そしてホテルに戻りホットワイン。

これの繰り返しでした。

 

その後、12月下旬に訪問した

リトアニアの首都、

ヴィリニュス」は、

気温的にはラトビアと同様、

或いはそれ以下だったかも

知れませんが、何故か、

それ程寒く感じませんでした。

 







ラトビアで慣れたのか、

リトアニアの前に旅行した

セーシェルで日焼けし過ぎて、

火照った身体を冷やすのに

丁度良かったのか。

 

いずれにしても、外を歩くのが

それ程苦にはなりませんでした。

 

ですが、ここも、出来れば

夏に訪れたい街でした。

 

但し、あの有名な

ナポレオン」が訪れた際、

フランスに持って帰りたい」と

語ったとされるくらい美しい

聖アンナ教会」については、

冬だからこその素晴らしい

景色にも出会う事が出来ました。

 


因みに、これらバルト3国の

旧市街は、いずれも、ユネスコの

世界遺産」に登録されています。

 

最後に余談ですが、最近、

ラトビア製のポテトチップスが

日本でも流通していると知り、

アマゾンで買ってみました。

 

エストニアであればIT先進国、

リトアニアであれば                                                                   

第二次世界大戦中に多くの

ユダヤ系難民を救った

杉原千畝」氏(映画化も

されています)など、

日本人の我々でも何か連想する事が

出来ますが、ラトビアについては

あまりそういう連想が働かない中、

ラトビアのポテトチップスを日本で

食べられるとは意外でした。

 

商品名は

ロング・チップス

と言うのですが、通常の捻じれた

楕円形みたいなポテチでは無く、

その名の通り、長く四角い形が

ユニークなポテチです。

 



8種類詰め合わせを買って、

まだ3種類しか食べていませんが、

とても美味しく、面白い食感です。

味は、日本のモノより強めです。