『山頭火 俳句の心 書のひびき』山村嚝 文・永守蒼穹 書 | 節操の無い庭

節操の無い庭

築40年近い中古物件で意図せず手に入れた和の庭園の模様。自然、生き物、家族、自分のことなど。備忘録。

中学の国語の資料集に載っていた

丸メガネに網代笠と法衣のおじさん


分け入つても分け入つても青い山


母の自殺、早稲田中退、神経衰弱、実家の没落、妻子捨て、逃避行、禅門出家、行乞行脚、漂泊、酒

破滅的、退廃的なキーワード満載な生き方が強烈

あっけないほどシンプルな句と相まって


椿、竹、故郷、蛍、独居など様々なテーマごとに選びだした全34句を、書と解説で楽しむ一冊

いくつかのテーマから句を抜粋


【酔い】

ほろほろ酔うて木の葉ふる

酔うてこおろぎと寝てゐたよ

ふるつくふうふう酔ひざめのからだよろめく


微酔の幸福感漂うものや、泥酔のヘロヘロのものまで多種多様

「第二の不幸は酒癖」と自戒するほど終生酒をやめられなかった


【故郷】

あめふるふるさとははだしであるく

曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

うまれた家はあとかたもないほうたる

ふるさとはからたちの実となつてゐる


行乞の旅に疲れた山頭火は故郷に近い茅葺きの廃屋に居を構える(其中庵)

随筆にはこんな自虐もある

「はだしであるいてゐると、蹠の感触が少年の夢を呼びかへす。そこに白髪の感傷家がさまよふてゐるとはー」

身内から見た放蕩の中年はどんなふうに映ったのか


【しぐれ】

うしろすがたのしぐれていくか

鉄鉢の中へも霰(あられ)

笠も漏りだしたか


時雨とは秋から冬にかけて一時的に降る通り雨

ここで言うしぐれはそぼふる雨

冬の行乞に疲労感のにじみ出る句が多いが一方で

「昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ち着けなかつた、またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである」

其中日記にはこんな一文も

「私にはもう、外へひろがる若さはないが、内にこもる老ひはある、それは何ともいへないものだ、独り味ふ心だ。」

この文章は好きだ


【月】

月へひとりの戸はあけとく

月夜あかるい舟があつてそのなかで寝る

蚊帳の中の私にまで月の明るく

こんなよい月をひとりで観て寝る(放哉)


【独居】

張りかへた障子のなかの一人

ひとりで障子いっぱいの日かげで

けふもいちにち誰も来なかつたほうたる

障子しめきって淋しさを満たす(放哉)


月と独居には尾崎放哉も入り乱れてきた

放哉も妻子を捨てて仏門に入った一人

どちらも自由律俳句の代表的俳人


【食】

いただいて足りて一人の箸をおく

こころすなほに御飯がふいた


永平寺での修行を志したこともある山頭火

禅僧として、食材に対する感謝と粗食を尊ぶ心を「知足」と表現した


【生と死】

ひっそりと生きてなるようになる草の穂

【一草庵】

おちついて死ねさうな草萌ゆる

おちついて死ねさうな草枯るる

どこで倒れてもよい山うぐいす


最後の解説は道元の修証義

「生を明らめ死を明らむるは、仏家の一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし。」

最後の場所、一草案で過ごす山頭火は死や人生に対する諦念が定まったかのように落ちついて穏やかに最後の時を過ごした


現代的に言い表すとなんだろう…

おセンチ、放蕩、放浪、独りよがり、人間嫌い、孤立、自嘲自虐、自分に酔ってる、自分に乾杯、アル中気味

痛々しくなった


禅という清澄な世界に身を置きつつ、そこに到達できない煩悩、人間臭さを死ぬまで表現し続けた

きれいなだけじゃない泥臭さ

しかもシンプルに、削ぎ落として

これこそが種田山頭火の魅力だ

随筆も面白いかも?

寄る辺ない独りよがりの世界に浸れそう