悪について エーリッヒ・フロム 5 | 節操の無い庭

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築40年近い中古物件で意図せず手に入れた和の庭園の模様。自然、生き物、家族、自分のことなど。備忘録。

生を愛することと死を愛することとより


『肛門性性格』は排泄物をひじように好み、それに親しみを持つーそれはすべての生のないものに対する強い一般的な親近感であるー部であるー人たちにあらわれると考えられるようになった。排泄物はすで不用なものであり、最後に肉体と分離するものである。肛門性格は排泄物にひじょうに魅かれるが、それと同じように、生産と消費の手段としてではなく、単なる所有のために汚物、不用物、財産のような、生には不用なすべてのものに魅惑されるのである。こうした生きていないものに魅惑される傾向の発達する原因に関しては、多くの研究が必要である。体験的な要因とは別に、両親の性格、ことに母親の性格が重要な要因で考えるのには一理がある。それは厳しくトイレの躾をし、子供の排泄過程に必要以上の関心を持つ母親は、強い肛門性格を持つ女性であり、その子供にも同じ傾向の影響を与えるであろう。(中省略)

 フロイトのいう肛門性格と、これまで述べたネクロフィラスな性格が非常に似ていることは、この説明からも容易にできる。真実この二つは生のないもの、死んだものに対する関心と親近感において同質である。ただ類似の程度が異なっているだけである。《フロイトのいう「肛門性格」ー良性の形態ーという性格構造の悪性形態が、ネクロフィラスな性格である》と私は考える。


感想

肛門性格!排泄物!なんじゃそりゃと思いながらも、興味深く読んだ。母親がネクロフィリアって…サイコパスで、現実離れしたイメージを持った。けど、ネクロな肛門要素は誰にでもあるもんなんだと思う。突出していないだけで。自分にもたぶん…

肛門性格の特徴として、規則的、倹約、強情の3つがあてはまるらしい。規則的は?やけど倹約、強情は自分に当てはまらんでもない。