悪について エーリッヒ・フロム 3 | 節操の無い庭

節操の無い庭

築40年近い中古物件で意図せず手に入れた和の庭園の模様。自然、生き物、家族、自分のことなど。備忘録。

死を愛することと生を愛すること より

 

『ネクロフィラスな人間は、過去に住んで未来には住まない。彼らの感情は本質的には感傷である。すなわち彼らは昨日までもっていた感情、あるいはもっていたかに信じている感情の記憶を心にいだいている。かれらは「法と秩序」の冷淡な信奉者である。かれらに価値あるものは、我々の一般的生活に関連をもつ価値とは正反対のものである。すなわち生ではなくて、死がかれらを興奮させ満足させる。

 ネクロフィラスな人の特徴は、力に対するその人の姿勢である。シモーヌ・ウェイユの定義によれば、力とは人間を屍体に変貌させる能力であるという。性欲が生を創造しうるように、力は生を破壊しうる。私がある人を慴服させっるとか、その所有物を奪ったとしよう。だが、何をしようと、私のこれらの行為の背後には、殺しうる可能性をもつ力と、殺すことに喜びを感ずる気持ちが必ず存在する。死を愛好するものは必然的に力を愛好する。彼には人間の最大の目的は、生を付与することではなくて、生を破壊することであり、力の使用は、環境により強制された一時的な行為ではなくて、それ自身生きる道なのである。』