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五十首歌人々によませ侍りける時夏歌とてよみ侍りける
うちしめりあやめぞかをる郭公啼(な)くやさつきの雨のゆふぐれ
九条良経
新古今和歌集夏220
続く長雨に
空気がじっとりと打ち湿り、
そんななか軒に飾った菖蒲が
鋭い香りを立てている。
ほととぎすの鳴く五月の雨、
五月雨の夕暮れに、心も乱れて。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
時鳥なくやさ月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな
詠み人知らず 古今和歌集恋一、469
さみだれは焚く藻の煙うちしめりしほたれまさる須磨の浦人藤原俊成 千載和歌集夏183
うちしめり:
(空気が)水気を帯びてしっとりして
あやめ:
サトイモ科の菖蒲のことで、
花菖蒲とは異なる植物。
茎や葉に強い香りがあり、
葉が鋭い剣の形をしており、
五月の節句に邪気を払うために
軒に挿すなどする。
郭公啼くやさつきの:
本歌を踏まえた表現。
「啼くや」の「や」は
疑問の係助詞ではなく
詠嘆や語調を整える目的の
間投助詞。
さつきの雨:五月雨は
心の「みだれ」を響かせる。
「うちしめり」は肌感覚、
「さつきの雨のゆふぐれ」は
肌感覚を伴う視覚情報でしょうか。
どちらも梅雨特有の
鬱屈した感じを連想させます。
そこに、
「あやめぞかをる」という嗅覚情報、
「郭公啼くや」
という聴覚情報のふたつが
それこそあやめの香、
ほととぎすの鳴き声のように
鋭く差し込まれる。
ざっと見ただけでも
4種の異なる感覚を
一首に詠み込みながら、
ごちゃごちゃした感じの
ないどころか
あやめと郭公の爽やかさで
湿っぽい雰囲気が引き締まる。
うまいですねえ。
うまいですし、
この人の場合、
天性のものもあるのかな。
育ちの良さというかなんというか。
本歌の
「時鳥なくやさ月のあやめ草」が
作者はもちろん読者の頭にも
ある、と想定されています。
(八百年後の現代はともかく、
少なくともこの歌の詠まれた当時は)
ですので、
「うちしめり」は夏の歌ですが
ほのかな恋の気配を
嗅ぎ取ることも
お約束ですね。
「さつきの雨」から
「さみだれ」→「みだれ」
と連想したのは私の読みすぎか、
さて、いかがでしょうか?
うちしめりあやめぞかをる郭公啼くやさつきの雨のゆふぐれ