(1)なぜ日本からメキシコやブラジルに移民したのか? | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

(1)なぜ日本からメキシコやブラジルに移民したのか?


「敵に塩を送る」という言葉がありますが、ご存じですか?

これは、戦国時代、武田信玄と上杉謙信の逸話から来ています。

海がなく塩の採れない内陸の甲斐(今の山梨県)と信濃(今の長野県)の国を領土に持つ武田信玄が、敵の今川氏真から塩止めにあったときに、越後(今の新潟県)の武将・上杉謙信が、卑怯な行為ではなく戦いで決着をつけたいといって、武田信玄に塩を送ったということなんですね。

内陸に塩を流通させなければ、領民が苦しみ、亡くなってしまったわけです。

日本には岩塩がなく、塩は海水を使って作る必要があったのです。ただ、昔の製法ですから、大量には作れません。

海水1トンからできる塩はたった約20キロ。しかも、塩づくりに必要な平釜は当時、鉄でできていましたから、鉄も貴重品。塩は貴重品でした。

塩のないところには、人が住めず、内陸には、日本海側や太平洋側から「塩の道」ができ、塩が運ばれました。

塩のできない北海道には、江戸時代、北前船が活躍しました。

つまり、ある意味では、その地域地域には、塩の生産量・流通量に見合う分の人口しか住めないということなんですね。

ところで、先日、知人が、メキシコに日本から移民した方についての話を聞いたそうです。

1900年台の初頭、日本からメキシコに移民した日本人が、約1万人から1万2千人前後、いらっしゃったそうです。

そのころ、ペルーには、2万6千人、ブラジルには18万人が日本から移民しました。

移民の話は、みなさん、ご存じでしょうが、そんなに簡単なものではなく、大きな夢を持って移民しても、過酷な自然環境、労働条件で亡くなる方も多かったそうです。

日本は、海に囲まれ、四季のある自然豊かな国。

なぜ、日本から、メキシコ、ペルー、ブラジル・・・、そんな遠くの国に移民せざるを得なかったのでしょう?

それは…、農地がなかったからですね。

農家の長男だけが家と田畑を継ぐことができ、次男坊以下は出ていくしかなく、小作地がない地方では、食べていけなかったんです。

では、なぜ、この1900年代の初頭、日本に住んでいけないほどの人口が増えたのでしょうか?

続きは明日に。