江戸時代の庶民の本草学「本朝食鑑」
10日から16日までの二子玉川ライズ「東急フードショー」地下1階の「Ocatte」での能登半島ランチイベント。
残すところあと2日です。だいぶ段取りも立ち仕事も慣れてきました。
さて、イベントの話題ばかりでは何なので、ちょっと毛色の違うお話を。
築地の珍味屋「村田明陽商店」の村田社長から、面白い本を貸していただきました。
元禄10年(1897)に、江戸で出版された『本朝食鑑』という食べ物の薬学事典のような書物です。
平凡社から東洋文庫として、昭和51年に注釈入りで発行されています。
江戸時代、塩は、本草学、つまり薬用いう観点からどのようにとらえられていたかがわかります。
この『本朝食鑑』は、電子書籍で読めるようになっていて、で、次のように紹介されています。
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本草学という学問があります。薬の本(もと)となる草、つまり、薬用の観点から、植物を中心に動物、鉱物など自然のものを研究する学問で、今でいう医学や薬学のもとになります。
古来中国より伝来し、日本でも江戸時代にはさかんに研究されました。
特に、明の李時珍の著「本草綱目」は日本の本草学界にも大きな影響を与え、あの徳川家康も愛読していたと言われています。
「本朝食鑑」の著者・人見必大は、その父が徳川幕府に仕えた医者であり、兄は儒学者としての名声も高く、徳川家綱の学友であったというように、将軍家との関わりの深い、めぐまれた環境にいた人物でした。
必大は、この時代の教科書的存在であった「本草綱目」をそのまま鵜呑みにせず、薬学としての本草学にこだわり、また庶民の日常生活に密着した食べ物に重点をおき、自ら吟味・検討し、この書をまとめました。
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まずは、この本の中の「海水」という項からご紹介しましょう。全4巻の最初の1巻目。その一番最初の「水火土部」の章に出ています。
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今、五痺、脚気、損傷の患症のある者は、潮水を煮て浴すると験を得ることがある。
そこでこれを海人に求める。海人は、海天快晴の日を待って、岸部に立つ。遥かに波面を望み見ると、蒼水・白水の分かれ目に一条の清流のあるのが見えてくる。
これがつまり潮水で、味は最も鹹い(からい)。これで浴するとよいのである。
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今でいうアロマテラピーですね。
「わじまの海塩」の製塩士・中道肇さんは、海人の家系。海や空や浜辺を見ていると、製塩に適した日や場所がわかり、そこに取水に行くということですが、なんだか、海人の遺伝子的なものがあるのかな、と思ってしまいました。
面白いですね。
明日からは、この本の塩の項について、紹介しますね。
