(1)塩のうんちく話 by 『外交官のア・ラ・カルト』(近藤誠一著) | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

(1)塩のうんちく話 by 『外交官のア・ラ・カルト』(近藤誠一著)

「外交官のア・ラ・カルト」(発行:2011年2月・かまくら春秋社)。

著者は、パリのユネスコ大使から、コペンハーゲンのデンマーク大使を経験し、現在、文化庁長官である近藤誠一氏で、文化と食をテーマに外交を綴る、というエッセイ集です。

輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-外交官のアラカルト

「鯛の塩焼き」という章に、塩にまつわる歴史、文化の「うんちく」がとても簡潔にまとめられているので、引用してご紹介します。

------
塩は、体に無くてはならないナトリウム・イオンと塩素イオンを供給する。

生肉を多く食べていた時代には、ナトリウムなどのミネラルが含まれていたので、特段塩をとる必要は無かった。現に旧石器時代には製塩の痕跡はないそうだ。

しかし穀類を食べるようになると、塩は不可欠になった。文明は塩のとれるところに発達したとも言える。

塩は、各地で食品の味付けと保存のために使われた。ギリシャ・ローマ文明では、生野菜に塩を添えて食べた。

これがサラダになり、フランス料理のソースに発展した。サラダもソースもその語源はラテン語で塩を意味するサル(sal)を起源とする。

保存食の代表であるソーセージの語源はラテン語で肉の塩漬けを意味するサルサスだが、これもサル(塩)からきている。

塩は必需品であることから貨幣の役割も果たし、また給料の支払い手段にもなった。

サラリーとは、塩の供給を意味するラテン語のサラリウムに由来している。

東洋でも同じだ。味加減を意味する塩梅(あんばい)という言葉は中国の『書経』からきた。

また『漢書』には、「酒は百薬の長」の対句として「塩は食肴の将」というのがある。

マルコ・ポーロは、『東方見聞録』で、チベットの原住民はモンゴル帝国の発行する貨幣は使わず、塩を通過としていることを紹介している。

日本でも古くから野菜に塩を使ったが、サラダではなく、漬物という形になった。

魚介類にも塩が使われたことは、『万葉集』に、難波の入り江にいた蟹が塩漬けにされる痛みを詠った、痛ましくもほほえましい一首があることからも分かる(巻16)。

日本でも塩は古代から極めて大事なもので、オオカミなどが跋扈する夜に塩を移動することが禁じられ、また夜間に塩の名を口にするときにはオオカミに分からぬように「波の花」と言い換えたという。

日本には岩塩が無く、塩は海からしかとれなかったことから一層大事にされ、またこの名になったのであろう。
-----

いくつのことをご存知でした?

ギリシャ・ローマでも、東洋でも、日本でも、塩の歴史は古く、重要なものであったことがわかりますね。

いくつか覚えておくと、食事のときの話題にもなりますね。

ご紹介したい部分がまだ続き、長くなってしまうので、続きは、明日に。