イナカ暮らしの「にんならん日記」 -2ページ目

イナカ暮らしの「にんならん日記」

とあるイナカ町のお年寄りの言葉で「にんならん」
つまり、「重荷にならない」転じて「気にしない」とか「お安いご用」とかって意味♪
日々のちょっとしたことをシンプルに、時にはディープに。


テーマ:

ナイチンゲールが何をした人か。

 

白衣の天使で有名だが、

 

鉄の意思の女とも言える。

 

裕福に育った彼女だが、数学、特に統計学が得手だったそうだ。

 

 

だが、当時、裕福な家の娘は、

 

良いところのご子息と政略結婚をし、

 

家の繁栄の礎とされたらしい。

 

それを嫌った彼女は考えた。

 

軍隊に関わる仕事をすることで

 

家に閉じ込められるのを回避しよう。

 

 

しかし当時の軍隊はロクデナシの寄せ集めをちょっと訓練しただけ。

 

看護婦(看護師の時代ではないのでご勘弁)はそんな兵士を相手にする

 

娼婦のようなレベルの女性ばかりだったという。

 

 

そんな中、ナイチンゲールはデータを集め始める。

 

手負いの傷の深さに関係なく、

 

死人が多く出るときとそうでないときがある。

 

突き詰めた結果、衛生環境が原因なのではと気づき、

 

それが確信できるだけの統計を取る。

 

戦地での医療キャンプのあり方について、

 

衛生環境を確保するための建築や設備についてをも学ぶ。

 

 

また、ぐうたらな看護婦を効率よく働かせるための工夫をし、

 

それもデータ化して統計を取る。

 

 

死にゆく兵士たちを観察し、データ化し統計を取る。

 

 

 

そんなナイチンゲールと、時代や国を隔して同じような理論を確立した精神科医がいる。

 

キューブラー・ロス。

 

著書「死ぬ瞬間」などにまとめた

 

『終末期の患者の、死を受容するまでの5段階のプロセス』

 

がその理論だ

 

第一段階「否定」

死ぬことを受け入れられない。死ぬことから距離を置こうとするため、医師や家族などから孤立することになる。

 

第二段階「怒り」

否定しようとしても否定しきれない死を自覚した時、死ななければならない理由に付いて強い怒りを持って問いかける。

 

第三段階「取り引き」

怒りを持ってしても死の根拠が見いだせないと分かると、神に助けを乞うなど、奇跡への願いの気持ちを表す。

 

第四段階「抑うつ」

取り引きが無駄であることを知り、気持ちがめいって抑うつ状態になる。

 

第五段階「受容」

死んでゆくことは自然なことだという認識に達するとき、心に平安が訪れ「死の受容」へと至る。

 

 

 

さて、私は何をしようとしているのか結論を言うと、

 

 

死にゆく人を看る仕事をすることにした。

 

今さら医者にはなれないので

 

介護福祉士になることにした。

 

前段階として

 

介護職員初任者研修を修了し、

 

介護職員実務者研修を修了し、

 

3年以上の実務経験を積んで

 

晴れて「介護福祉士」の国家資格の

 

受験資格がえられ、試験を受けて合格すれば

 

国家資格保有者となる。

 

 

 

 

既に他の国家資格は持っているが、二つ目になるんだな。

 

 

その後、5年の実務を経て、

 

ケアマネージャー、さらに主任ケアマネージャーまでにはなりたい。

 

 

その目的はまた今度。

 

で、

 

前までしつこく書いてきた「ポジティブ」な心の動きは

この辺りのことだ。

 

ここに初めて書くから急なことに思えるかもしれないが、

 

ずっと前から考えていたことだ。

 

 

一ヶ月もブログを書かないくせに「前から・・・」なんて言っちゃいけないか。

 

 

気が向いたら続きを書くことにするので、

 

待たなくてヨロシイので(笑)

 

 


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人生の岐路

と書いた日記から5つめの日記となる、と言うとなんだかシリーズ物みたいだが、

実際、そこから読んでいただかないと意味がちゃんと伝わらないのではと思うのでご案内させていただきたい。

ま、あと5回くらい書いてこのシリーズは一段落させようと思っている。

なので、のんびり構えていていただければと思う。

 

 

 

 

さて・・・

 

 

動機とはきっかけのこと。

 

欲求とは、、、したいことだな。

 

ネガティブだのポジティブだのと話をしていた。

 

しかし、それらの心の動きのすべてにはきっかけがある。

 

それらの行動のすべてには動機がある。

 

 

調理師を辞めたい、料理の仕事を辞めたい、、、と思ったのは、

 

体が痛いという事実、それがきっかけであり、

 

痛いのから逃れたいという欲求があったのだ。

 

 

では、辞めてどうするの?

 

 

実は、辞めてどうするの?は、今回の私の場合当てはまらない。

 

やりたいことがすでにあったからだ。

 

人生 ポジティブかネガティブか」という日記に書いた

 

「ポジティブな思いとネガティブな思いが一致したと言うことだ。」

 

という一節はそれを意味しているのだ。

 

 

 

ナイチンゲールを皆さん知っているだろう。

 

では、「白衣の天使」というナイチンゲールのイメージ、それ以外に、彼女について知っていることはあるだろうか?

 

固い表紙の伝記を読めば良い。

 

 

彼女の時代背景から知らなければならない。

 

そして、具体的に残した実績を知らなければならない。

 

書いていくと長くなりそうなので、

 

 

 

ナイチンゲールがいったい何をした人なのか・・・がヒント、、、

 

今日はおしまい。


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さて、

 

体が痛い

 

とか

 

辛い

 

とか。

 

そういう状況から逃げ出したいと思う気持ちを「ネガティブ」

 

と言うならば、

 

そういう状況を打破したいと思う気持ち・・・って言うと「ポジティブ」

 

???

 

つまり、

 

「ものは言い様、考え様(ものはいいよう、かんがえよう)」

 

なのだ。

 

これでいいのだ。

 

 

 

 

 

いやいや、確かにいいけどまだ終わらないで・・・

 

 

 

マズローの欲求段階説というのがある。(〜五段階〜など、ほかの訳し方もあるようだ)

(↑Wikipediaへのリンク)

 

自己実現理論ともいう。

 

私の場合、上から4番目の「安全の欲求」に基づいて「痛みから逃げ出したい」わけである。

 

それそのものに「ネガティブ」も「ポジティブ」もない。

 

その方法が大衆に気に入られれば「ポジティブ」な印象を、そうでなければ「ネガティブ」な印象を与えているのではと思う。

 

 

 

 

 

 

そう言うことを前提に、

 

次回辺りから、

 

「痛みに耐えかねて仕事を辞めることにした(というネガティブシンキング)」

 

だけではない、「ポジティブ」な側面についてお話をさせていただきたく思う。

 

「人生の岐路」

「人生 ポジティブかネガティブか」

「ネガティブな感情」

 

と続けて書いてきたことと同時進行で心の中に涌き上がっていたものになる。

 

 

 


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前回からの続き。

 

ネガティブな感情から事は始まったと言って良い。

 

だからわざわざ前回はまだるっこしい事を書いた。

 

そして、今日はネガティブなことを書く。

 

 

 

 

 

体が痛いのだ。

 

健康診断で測定したのだが、身長が一年間に1.8cmも縮んだ。

 

時に背中が痛い。

 

時に腰が痛い。

 

背中が痛いと「大動脈解離」または「肝臓や膵臓のがん」の恐れがあると聞いていたもんだから

それはそれは心配した。

 

腰が痛いと、「ヘルニア」や「脊髄損傷」、「いつの間にか骨折」なんてものもあるらしい。

 

CTスキャンし腰のあたりに異常が見つかった。

 

詳しく診るためMRIでも検査。

 

結果は、腰の辺りの背骨がずれていたというものだった。

 

脚もしびれる。そう、正座してしびれるアレが突然くるのだ。

 

身長が縮むほど曲がり、ずれていたのだ。

 

 

原因は憶測でしか言えない。

 

働く時間が長過ぎるのではなかったか?

 

繁忙期には午前7時くらいから午後11時頃まで、休憩を15分くらいだけとってあとは立ちっぱなし。

 

週に一度は・・・休めなかった。

 

そんな日々が約二ヶ月続き、ひと月ほど閑散期となったが間もなくまた長時間働くこととなった。

 

痛み止めが効かなくなってきた。

 

より強い薬に変えていく。

 

胃がムカムカし、酸っぱい唾が湧く。

 

頭がぼんやりする。

 

刃物や火を扱うだけに危険だ。

 

 

 

「もう嫌だ。限界だ。辞めたい。」

 

これネガティブでしょ?

 

 

 

ポジティブな人だったら

 

「それでも明けない夜はない」

 

・・・。

 

あと何センチ身長を縮めますか?

 

 

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

 

 


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さて、

 

現在の職場を辞めると同時に、調理師としての仕事も辞めると決めた。

 

その決心に至るまでの心の動きを振り返ると面白い。

 

簡単に言うと、ポジティブな思いとネガティブな思いが一致したと言うことだ。

 

 

その辺の話をする前に、ポジネガの事についての話を書いてみたい。

 

 

SNS。

 

Facebookでもなんでもそうなんが、

 

「ポジティブばんざい。ネガティブ思考から脱却しよう!」

 

的なことが目に付く。

 

そして、「ポジティブに生きよう、ポジティブに生きよう」

 

とがんばる人たちの投稿を読むことになる。

 

 

読む側はあまり面白いことがない。

 

たまに「なるほど」と思うことはある。

 

しかし、おおむね面白くないのだ。

 

 

そしてネガティブなことを書きまくっている人もいる。

 

面白いと思ったことは無いに等しい。

 

たまに「ネタで書いているのかな?」と思えるほどマトを得ていることもある。

 

 

ポジでもネガでも、書いている人そのものの人格のことは分からない。

 

ただ、「ポジティブかネガティブか、、、それってなに?」

 

と思う。

 

 

いろいろ考えたが、一旦のところ小さな結論を見いだした。

 

ポジだろうがネガだろうが、それがどれだけ周りの人々に

 

好影響を与えるか、または悪影響を与えるかによってその本質が現れるのではないか?

 

 

引き合いに出していいのか申し訳ないが、

 

あいだみつおの

 

「そのままでいいんだよ」

 

といった言葉。

 

ありのままを受け入れてくれる、これは確かにポジティブに感じる。

 

この言葉によって救われ、生きる勇気すら与えられる人もいるはずだ。

 

しかし、現状を変えなければ人生が好転しないだろうという人にとって、

 

ポジティブでありながら悪影響を受けるという不思議な言葉になりうるのではないか?

 

そう考えれば、ネガティブな言葉や考え方によって人生の選択肢を見いだし好転する人もいるはずだ。

 

 

 

と言うわけで、

 

次回は、私の人生の選択肢を目の当たりにし、わき起こったポジティブな感情とネガティブな感情。

 

そのネガティブな部分を書いてみたいと思う。(たぶん 笑)

 

 

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