前記事の続きです。

 

CHALLENGERS for VANCOUVER 

バンクーバーへ挑む日本人選手の想い

髙橋大輔復活への挑戦の3回目。

 

 


 

 

フィギュアスケート 髙橋大輔

復活への挑戦(3)

 

無自覚だったパイオニア

◆注目される歓びより戸惑い

 


現在リンクで見せる気迫溢れる姿とは異なり、スケートを始めたばかりの少年時代の高橋は、あまり闘争心を感じさせるタイプではなかった。英才教育を受けていたわけでもなく、練習や稽古に臨むというよりは、あくまでも遊びの延長線上でスケートに接していたと言っていいだろう。
「試合に出て勝負することよりも、リンクを自由に滑ることが楽しくて、ただ遊びに行っている感覚でした」

そんな無邪気な高橋少年も、中学生時代にスケート連盟にその才能を見出されることによって、国際試合の舞台へとその一歩を踏み出す。
「気がついたら、周囲の環境が大きく変化し始めていた。嬉しいと感じるよりも、子どもながらに、もう後へは引けないのだと受け止めていました」  歓びよりも戸惑い。そんな高橋の気持ちとは関係なく、その才能は世界でも一躍脚光を浴びる。初めての国際試合(トリグラフトロフィー)で優勝。その後、初参戦した02年の世界ジュニア選手権では、日本男子として初の優勝を飾った。
「日本男子として初というのは、後で聞いて知りました。この頃から、少しずつ選手としての自覚が芽生えてきた気がします。それでも、勝利に対する執着心みたいなものは、ほとんど持っていなかった」

日本人男子として未知の領域に到達しながら、無欲、無自覚。そんな高橋を変えたのは、トリノオリンピックシーズンでの悔しい経験だった。05年の全日本選手権では他の選手が優勝を獲得していたが、その1時間後に採点ミスが発覚する。その結果、2位の高橋が繰り上げ優勝し、1枠しかないオリンピック日本代表の座を手中に収めた。
「結果的に繰り上げという形で優勝し、代表選手に選ばれたことは、正直に言えば、複雑な気持ちでした。日本のオリンピック出場枠が2枠から1枠になってしまったのは、前年の世界選手権で自分が失敗したことが原因です。全日本選手権で優勝したとはいえ、自分自身の演技も完璧には程遠い内容でしたから」
そのとき、責任の重さを自覚し、初めて悔しさを覚えた。これを機に高橋のオリンピックへの想いが誰よりも強いものへと変わっていく。



◆オリンピックに目覚めたトリノでの経験

 



代表選考での悔しさを抱え、高橋はオリンピック日本代表としてトリノのリンクに立った。
「スターティングポジションに立ったとき、オリンピックの舞台には、次は4年後まで立てないのだという実感が急に湧いてきました。そう思った瞬間、早く終わりたい、でもまだ終わってほしくないと、気持ちが混乱して、身体がガチガチに固まったまま滑り出してしまいました」
かつて経験したことのない感覚。頭が真っ白になり、途中の振り付けも忘れてしまうほど緊張は極限に達していた。
「鮮明に覚えているのは、始まった瞬間だけ。演技のことは、まったく覚えていません。振り付けを忘れてしまうなんて、通常ではあり得ないこと。それほどオリンピックの舞台には、独特の空気が流れていました」

トリノでの結果は8位。本来の実力を十分に発揮できなかった悔しさは残った。一方で、現在の高橋はこう振り返る。
「今思えば、あのときの自分は、メダルが取れなくて当たり前。当時のインタビューでは悔しいなどともっともらしい答えをしていましたが、あんな中途半端なメンタルで上手くいくはずがない。当時の自分には、『8位でもラッキーだったと思え』と言ってやりたい。少し浮き足立っていたんだと思います。いずれにしても、自分に甘かった」
オリンピックという舞台だからこそ、あらためて知ることのできた己の甘さ。そして、それに打ち克つことで、オリンピックで勝てる選手になろうと決心する。ついに、メダルへの意識が鮮明になったのだ。

それから3年間、高橋は常に世界のトップグループに名を連ね、重圧の中で戦い、グランプリファイナルでの2位(06、07年)、世界選手権2位(07年)と、日本人男子としての最高位を次々と塗り替えていく。日本男子フィギュアスケートの快男児は、初のオリンピック制覇に向けて快進撃を続ける。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

2005年のモスクワ世界選手権、

そしてトリノ五輪。

 

これらを経験して以降、

色々な意味で

日本男子のエースとしての

責任と自覚が芽生えたのは

発言からもよくわかりました。

 

試合は

自分だけのものではない

 

なんて言葉は

まさにそれですよね。

 

 

ところで、

ひとつ思うこと。

 

「気がついたら、周囲の環境が大きく変化し始めていた。嬉しいと感じるよりも、子どもながらに、もう後へは引けないのだと受け止めていました」

 

競技から退いた後、

スケートが好きかどうかさえもわからなくなったのは

少年時代のこんな記憶が

原因のひとつなんじゃないかなぁと。

 

もう後戻りできない

ではなく

「自ら」試合に出たい

と思えるような環境だったなら

大ちゃんのスケート人生の半分くらいは

苦悩することもなかったのかも?

なんてね…。

 

 

大ちゃん。

戻ってきてくれて

ほんとにありがとう。

 

(ノω・、)

 

 

 

次回の

髙橋大輔 復活への挑戦

「不測の怪我を進化への力に変える」です。

 

 

(。´・∀・)ノ゙ バィバィ~

 

 

 

 

 

 

 

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