「綺麗なんですけどね。世界観は」

 

編集担当の門脇は、
困ったようにiPadをテーブルへ置いた。

 

午前十一時半を過ぎたファミレスは、
少しずつ混み始めている。

 

ドリンクバー付きのランチは、
打ち合わせが長引く日にはありがたかった。

 

追加料金もないし、
時間制限もない。

 

門脇は真剣になると、
顔が赤くなる。

 

今日も、
メガネの中央がうっすら曇っていた。

 

天パの髪まで湿気でうねり始めている。

 

「でもね。
漫画家“碇みなと。”の読者が求めてるのって、
こういう方向じゃないんですよ」

 

門脇はiPadを軽く叩いた。

 

「悪いけど、この話、ちょっと嘘っぽい」

 

湊は黙ったまま、
コーヒーカップに触れる。

 

「もっと欲しいんです。
作品に生命力が」

 

「……生命力?」

 

門脇は曇ったメガネを外し、
 

シャツの裾でごしごし拭いた。

 

「だって先生、
十代から成人向け描いてきたじゃないですか」

 

「……はい」

 

「普通、あそこまで描けないんですよ」

 

興奮したみたいに、
門脇の顔がさらに赤くなる。

 

「画力もすごいけど、
人の“体温”の描き方が異常にうまい」

 

体温。

 

その言葉に、
湊の指先が少し止まった。

 

「ただのエロじゃないんです。
人が消耗していく感じとか、
寂しさとか、依存とか」

 

門脇はアイスコーヒーを一気に飲み干す。

 

「なんかこう……
人としての祈りみたいなものがあるんですよ」

 

隣の席の女性が、
ちらりとこちらを見る。

 

門脇は気づかない。

 

「読者はそこを求めてるんです」

 

「……はあ」

 

湊は曖昧にうなずいた。

 

「『もう一つの地球で待ってて』」

 

門脇は、
iPadのタイトル部分を指で叩く。

 

「タイトルはめちゃくちゃいい」

 

少し笑った。

 

「もう、タイトルだけで切ない」

 

でもさ。

 

門脇の口調が、
だんだん砕けていく。

 

「専業主婦と学校の先生のプラトニックって、
今どき流行んないよ?」

 

「……」

 

「前の『夏至の手前……』の女の子、
良かったじゃないですか」

 

門脇は熱っぽく続ける。

 

「危うくて、メンヘラで、
でもリアルだった。

彼氏も優しいのか優柔不断なのか分かんなくて、

快楽に流されながらズルズル一緒にいる感じとか」

 

湊は何も言わない。

 

「でも今回はさぁ」

 

門脇は笑った。

 

「こんな聖母みたいな専業主婦、いないって」

 

会釈をして、
門脇は伝票を持ったまま席を立つ。

 

「あと、
なんで札幌ドームの近く住んでるんですか?」

 

「ああ……前の担当に勧められて」

 

「あー、勅使河原さん?」

 

門脇はにやっと笑う。

 

「打ち合わせのあと、
ファイターズ戦見ながら

ビール飲みたかっただけでしょ」

 

「かもしれませんね」

 

「エスコンだったら、
北広島すすめられてたな」

 

「確かに」

 

「あのビールっ腹

何とかなんないのかな」

 

「言い過ぎです」

 

短く笑い合って、


門脇はファミレスを出ていった。

 

 

昼時の店内は騒がしい。

 

食器のぶつかる音。

 

ドリンクバーの機械音。

 

子どもの笑い声。

 

湊は一人、
iPadの画面を見つめた。

 

『もう一つの地球で待ってて』

 

そして、
昨日拾った診察券の名前を思い出す。

 

透子。

 

「……いるじゃん」

 

誰にも聞こえない声で、
小さく呟いた。

 

 

その時。

 

カラン。

 

入口のベルが鳴る。

 

湊は何気なく顔を上げた。

 

そこに立っていたのは、
少し疲れた顔の女性だった。

 

ゆるく結ばれた髪。

 

スーパーのエコバッグ。

 

そして。

 

――透子。

 

湊の呼吸が止まる。

 

まるで、
自分の描いた人物が、
現実へ迷い込んできたみたいに。

 

📢【更新予定】📢

📖 5月23日㈯22時
第10話 大ジョッキの専業主婦

📖 5月24日㈰22時
第11話 白いシャツの人

📖 5月29日㈮22時
第12話 漫画なら、一巻の表紙に描きたい

📖 5月30日㈯22時
第13話 平岸の団地

📖 5月31日㈰22時
第14話 みんな幸せになりたいだけなんだ