縄文時代の文化に憧憬の深い人物より
名草戸畔 の話を聴きました。
負けず嫌い!反骨精神の文字。
名 名草戸畔を中心とした
屈服しない名草山周辺の豪族の心意気を
感じました。
小野田寛郎さんの座右は「不撓不屈」です。
野球王国和歌山もこの流れも
あるのかな などとも思いながら
帰路につきました。
その他 信長、秀吉に対抗した雑賀孫市などにも
同じ気骨があるように思いました。
古文書など研究では名草山が御神体の
記述も出てきます。
宇賀部神社の御朱印にも名草戸畔の文字。
戦死した名草戸畔の体は3つの部分に分け
足は千種、胴は杉尾、頭は宇賀部に祀られているとか。
黒江の中言神社も遺体を祀っていると記述もあり
訪ねてみたいと思いました。
吉原、内原、安原など【原】のつく地域は
名草戸畔の領土だったということや
戦った神武軍との戦闘の中で 船の後部から
攻めてきたと伝わる地名が「船尾」(海南市)とか
地名と縄文時代の関連にも興味がつきません
名草山 弊社江戸時代からのご先祖のお墓もある
紀三井寺も調べたいと思う気持ちが強くなりました。