天満宮は、摂社・末社を含め、全国におよそ一万2千社あるといわれています。
休天神は播州街道(今の国道2号線と重なる)沿いにあります。その昔、街道沿いには、馬や人を休める宿場がありました。菅原道真公が、太宰府に左遷されたとき、この道を通られました。

    兵庫県明石市大蔵天神町2-7     駐車場はありません 

明石市にある社寺で、通称「休天神」(やすみてんじん)と呼ばれ、菅公聖蹟二十五拝第15番です。

菅原道真公が、大宰府へ下る途中で、当地に立ち寄り、山陽道沿いの明石駅家(うまや)に宿をとり、同情を寄せる明石駅長に「駅長よ、驚くなかれ。一栄一落が人の世の定めなのです」と語ったと伝えられております。

入ってすぐに拝殿横にも牛さんがお出迎え、菅原道真と縁の深い牛がお出迎えです。

菅原道真公が太宰府へ配流される途中に腰をかけて休んだという「腰掛石」があります。

太宰府で、菅原道真公が亡くなったことを知ると、明石駅長は、延喜3年(903年)に、道真公を祀る祠を建てたとされ、これに始まると伝えられる。その後、5代目の明石城主の松平日向守信之が延宝7年(1679年)に社殿を創建し、菅原道真が大宰府へ向かう途路立ち寄ったことから休天神社と名付けられました。

   御祭神:菅原道真

菅原道真公は平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家であり類まれなる才能の持ち主で、学問をもって朝廷に仕え、官位は従二位・右大臣にまでなりました。しかし、左大臣『藤原時平』に陥され、左遷先の大宰府で没した。死後、天満天神として信仰の対象となるが、現在は学問の神として親しまれています。天神様と呼ばれる菅原道真は梅が好きだったと伝わっていますが、明石天満宮の梅は少ないようですが、綺麗に咲いています。

   ~次回を お楽しみに では またね~