他人の家に行くとテレビがあってNHKが映っている。僕の家にはテレビがない 、だからその画像をとても新鮮に思い眺める。つまらない番組だと思うが、そのつまらなさが新鮮だ。ただ、その新鮮さに興味を覚え、自前で受信設備を購入してまで視聴したいかと問われると疑問だ。


 選択させてくれないかな。緊急時のラジオ放送に対する有益性なら認めるから、「ラジオ受信料」と「テレビ受信料」で選んで契約できないのかな。


それから…


とっとと国営化してくれ。税金で縛ってしっかり管理すべき組織だ。放送の持つ公益性はそうして維持した方がいい気がする。


そのかわり、可愛い女性アナウンサーも、すらりとイケメンパーソナリティーも要らない。一切の飾りを無くして「公益性」に徹した団体を作ってくれ。少なくとも今のような放送の意味を肥大化させて金ばかり民衆から吸い上げようと躍起になっている団体であっては困る


…などと考えていたら…


わ! なに? インターネット接続しているパソコンも契約義務の該当装置に繰り入れるだと???


しかも総務庁、政府が検討を始めていると


…まぁ、まあいい。頭に血が上りそうだけど深呼吸しよう。でもでも、こんなんでは恥ずかしくって、小さな人達に大人である事にどんどん胸を張れなくなってしまう。


 偉くて賢い(筈)の大人の方々にお願いだ。頼む、足下がどこにあるのかをもう一度確認してくれ。君達がすべき仕事は金集めじゃない。


将来的に衰退の色合いの濃い日本のランディングをきちんと模索する事だ。例外漏らさずあらゆる組織において偉くて賢い人達はそのために高い給料をもらっている。


負け方に知恵を絞れない大人が作った社会に次は巡ってこない。


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 上の娘が5歳の頃、ニューヨークの貿易センタービル崩壊の事件の前から、受信料払ってません 。当然だけれど日本放送協会様とも受信契約をしてない。放送法において法的にグレーゾーンな携帯ワンセグさえ無い。パソコンにもテレビ放送の受像機能は付けてない。番組表を見ないから観たい番組も無い。そして新聞も定期購読してない。必要な時にコンビニで買ってる。最近では新聞の勧誘員さんも全く来なくなった。


 娯楽番組ばかり観ていないでニュースを観ろとか、新聞を読めとか、僕は大人達から言われて育った。公衆衛生に関わる記事や、災害に関する即時性有る報道は確かに有益だった。教育番組でも何でも、観ていて読んでいて確かに面白かった。天声人語を読めと母によく言われたことについては閉口したけれど。


 戦前の教育を受けた僕の両親の世代にとって、マスコミ、マスメディアは例え情報が誰かの利権で有意に操作されていたとしても、それらが作るパラダイム(規範・範例)からしか生きる見通しのヒントを得られなかったし、その中には一部かもしれないけれどジャーナリズムの実体があった。だから、僕に対して行った両親の情報社会についての教育的態度はあの時はそれで良かったのだと思うし、あの時僕が教えられたことは間違ってはいないと思う。


 僕が中高生になると、「情報化社会」という言葉が学校長の訓話にも頻繁に登場するようになった。マスコミから発信される情報をどのように観、取り扱うかという情報に対する態度が日本中で模索されていた。国際社会で発展目覚ましかった日本の経済力は、更なる向上の為に一般民衆に対しても開かれた世界に目を向けよと教えた。その結果、日本は国際社会で経済大国としての評価を固い物にした。

 僕が学生生活を謳歌している昭和末期、今度は新たな「技術革新」が起きた。世界中の電化製品に使われている部品の集積技術の向上だ。情報処理装置としてのコンピュータはその影響を最も受けたモノの一つだ。それはやがて巨大なマスコミの態度を世界的に変えさせるきっかけとなったモノだ。当時の僕は初めて「マイコン(現在では死語)」のプログラミングというものを覚えたばかりで、この面倒な手続きがまさか現代のインターネット社会を呼ぶきっかけになるとは想像もしなかった。三日もかかって作ったプログラムが大したことも出来ず、こんなモノが大衆の生活に浸透し、僕らにとって有益なモノになるとは思えなかったのだ。また、大衆がそれを有益なモノと判断し、活用するとも思えなかった。

 しかし、僕が親になる頃、遂に1995年がやってきた。MicroSoft社のWindows'95がリリースされたのだ。日本の大衆にとってのインターネットの世界の始まりだ。本当はこの時点で大人達はマスメディアの在り方をもっと真剣に議論すべきだったと思う。携帯機器との融合、その他情報の記録に対するこれからのマスコミについて、もっと想像力を働かせることは不可能ではなかったはずだ。


 そして現在、僕が子どもの頃大人達から教えられてきた情報化社会、その中でもマスコミについての概念は現代では遺物となってしまった。想像していた情報化社会とは大きく異なっている。越えたのではない。異なる社会になった。


 インターネットは情報の発信者に即時直接反応を返すことが出来る。そしてそのシステムは情報を発信するシステムと全く同じ環境に在る。ここがテレビやラジオ、新聞とは異なる部分だ。情報の正確さと機敏な対応が大切な時代にあって、受信機の前に縛られる旧式のマスメディアは使い勝手が悪い。インターネットの世界は、無限ではないにしろ自ら情報収集と評価判断が随時行える。


 また、インターネット前夜までのマスメディアの中には、まだジャーナリズムの実体があった。太平洋戦争前の、マスメディアを取り巻くかつての強力な利害関係を薄れさせながら。しかし、インターネットの世界が広がり始めると、新しいメディアとしてのインターネットにその実体を盛んに移行し始めた。今の日本の古いマスコミにはジャーナリズムの空洞化が起こり始めている。元々日本のジャーナリズムがその本質を持ち得ていたかどうか否かという点についても考える必要はあるが。

 そんな中で、自分たちの体制が未だにその実体を内包していると、内包し続けられると信じたい大人達にとっては今は正に「まさかの時」だ。そのまさかの時に、彼らは自分の安定した地位に胡座をかいて、利権ばかりに目を向け、あれだけ口にしていた情報化社会の重要性について、その変革を予見する努力さえ見せなかった。彼らは全ての大衆が未だ自分を向いているという希望的観測を持ち続けている。子どもみたいに。旧態のマスメディアにしがみついて、新しいパラダイムに完全に乗り遅れていることを認めようとしない。そして空洞化してしまったマスメディアの中心に、彼らは何時までも居座り続けている。彼らは現代の情報化社会に完全に乗り損ねている。マスコミの在り方を大きく変えなければならない筈のこの時期にだ、待ったなしの筈なのに。

 朝日新聞社の報道の取り消し問題などを見るに、古いマスコミのパラダイムにあるジャーナリズムの形骸化がプンプンにおう。民間のテレビ放送は既に若者に見放されつつある。今テレビの前に齧り付いているのは、これから先の変化を必要としない世代だけと言っても良い。僕の知り合いの二十歳台の若者達も、大学進学で親元を離れることを機会にテレビを捨てた生活を始めてる。自らが探し自らが調べる、そして自ら決める。そうしたマスメディアに対する態度が若者達を中心に形作られつつある。彼らにとって観たいテレビ番組はネカフェに行ってお金を払ってみればよいモノであって、受像器や受信料にお金を掛けるくらいならもっと別の娯楽があるし、インターネットの情報閲覧すれば数分前に始まった遠い国の紛争の映像を見ることだって出来る。英語も多少出来ればもっと沢山の情報に触れることが容易だ。

 本質を失って自らの姿を変えない大人、言い訳だけして自分達の利権にしがみつく大人の言い分。下手をすると自分の在る状態を対象化せずに、今でもつまらない番組を観ながら情報は大切だ、天声人語を読め、NHKのニュースを観ろと、自らのパラダイムの遺物化を意識せずに言い続けている。そして、自らの利権維持に金が足りないから受信契約をしろ、自分の取り分が足りないから新聞を買えというみっともない姿を何時まで若者に晒し続けている。そんな大人達の意見は寧ろ害悪だ。多少失う物があっても、とって捨ててしまった方が若者にとって最終的全体的には利益になる可能性がある。


 僕の家には二人の若者がいる。だから、僕の家にはテレビが無い。ついでに新聞も無い。

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 ゆとり教育が失敗だと言いたいオトナな方達にうかがいたい。どうであれば成功だったのか。とても賢い方々ならばきっと答えが返ってくるだろう。でも、教育実践の主体は僕ら普通の大人だ。その普通の方々に教えてもらいたい。どうすればゆとり教育は成功だったのかと。一杯ひっかけて、ネクタイを緩め垂れ下げて「ゆとり」を揶揄うだらしのないオトナな方々に。


 学ぶことが自分達にとってどうであったかを若い人達に伝えることが出来て、自分の五感に入ってくる様々な情報と教育の場で「訓練」したこと。それらがどのように自分達の血肉になったかを若い人達に伝えることが今の僕が松柏塾を続ける理由。


 返答があることを期待せずに気長に待つことにしよう。待てるよ、だって、若い人達と一緒に、僕は僕ら大人の社会を観察する事に忙しいから。時間はいくらでもある。


あの世にいってしまう前位には答えを聞かせてほしいものだ。



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   ゆとり教育が理想としたもの


 僕は人口五千人足らずの山村で生まれ育った。クラスメイトはたったの十四人。全校でも六十数名しか児童のいない小学校を卒業した。楽しいイベントが学校には沢山あった。授業の計画が予定よりも進んでいると楽しいことは起こった。先生が「今日は裏山に行ってみよう!」と言う。何時もよりずっと先生の注意事項に耳を傾けた。裏山ではインパクトある、そして僕が知らない物を沢山見せてもらえた。その風景は今でも鮮明に記憶に残っている。

 小3の夏休みには、先生が殆ど毎日学校にやって来て自由研究のアドバイスをしてくれ、何をやっても三日坊主の僕が原稿用紙二十枚以上に及ぶ作文を仕上げられたこと、沢山のデータ集めに付き合ってくれたことは忘れることが出来ない。個人教授の夏期講習をしてもらった様なものだ。中学校へ上がると、電子工作好きの僕にコンデンサとコイルの共振回路の式の使い方を教えてくれた理科の女先生が居た。この女先生には3年間受け持たれた。頭が上がらなかった。

 そういう僕の少年時代にも、序列化の波は続いていたのだと思う。でも、その波が自分に降りかかっていたという出来事は殆ど記憶にない。ただ家では、母に「勉強してきちんとした大人にならないと、素敵なお嫁さんが来てくれないわよ。」言われ、やりたくない計算ドリルの答えを写しながら、それが終わった後にする予定の紙工作の事を考えていた。ひょっとしたら僕の過ごした少年時代のあの村は、序列化の波から外れ偶然その狭間に在ったのかもしれない。本当は、もっとドリルを一生懸命やって、学校の試験ではミスをしないで良い点をとり、通知表には沢山の「5」を並べた方が良かったのか。捨てられたテレビの真空管をとりに土曜の午後にはゴミ回収場所を自転車で走って回るくらいなら、社会の歴史の年号をもっと沢山覚えた方が良かったのだろうか。

 学校で学んだことの多くは実際に僕の身の回りではとても役に立った。工作をするときも、友達と零戦のプラモデルを組み立てるときも、マッチで作ったミニやぐらを庭で燃やすときも。僕の小学校時代は、習った事を序列化の上に這い上ることに使うよりも、自分の少年としての日々の活動にそれらを使った方がずっとずっと楽しかった。中学校へ入ると学校の授業は益々面白くなった。小学校の時に貯めすぎてしまった「なぜ?」の半分を減らすことが出来たから。特に理科の授業は毎回がウキウキだった。

 こんな少年時代を過ごしているから、改めてゆとり教育の失敗を叫ぶ声が聞こえても、更なる序列化への回帰が最善と言いたくない。ゆとり教育には、付加価値が高まることで生み出された「余剰時間」をいかに生産的で創造的な活動に振り向けられるか、その向上を目指すことにもあったのではないか。

僕達の義務教育は効率が良かった


 八十年代、僕が子どもの頃の日本は工業製品を世界中に売りまくっていた。僕の目に見える大人達は、すごく強く、だれもが頼もしく見えた。ヨーロッパの家電メーカーは、その多くを日本の松下と東芝が競争の末潰してしまった。九〇年代にはアメリカを象徴する映画会社を日本のソニーが買い取った。最大の対日貿易赤字を抱えるアメリカではトヨタ、日産とホンダの車はウケた。アメ車に比べてとても燃費が良かったから。「賢いアメリカ人は日本車を買う。」と、ジャパンバッシングの裏では言われていた。殺虫剤生産ラインで声をそろえて完全に同じ動きをする日本人の工場労働者を見て、「ニッポンジンニワ ツイテユケネイネェ…」と投げやりに話す白人二人を映したコマーシャル、昼夜休まず働けるかと問う健康飲料のコマーシャル。これらは僕の頭の中に、工業立国としての国の方向性が絶対的に正しいとすり込んだ

 勿論学校教育も、この時代児童、生徒、そして学生だった僕に工業立国人としての教育を施した。ある一方向を見て真っ直ぐに誰より早いかを競争することがよりお互いの利益になると育てられてきた。殆どがその流れに沿って勤勉に努力した。一種のファッションみたいに。努力の報酬は社会に出てからの高い収入とその安定だった。少なくともそのどちらかが競争に参加した者への見返りで、職業人としての人生よりも、稼ぎの額と、金を何に消費したかが幸せの条件みたいな時代だった。その方向性から逸脱したり、競争に負けると自分には何時までも「敗者」としてのコンプレックスが残り易い時代だった。東大京大ブランドは唯々熱狂的に神格化されていた。東大生は頭だけでなく、人格的にも優れているのだというステレオタイプもあった。勉強が嫌いで競争を外れた人間には疑いつつもそれを否定する力は無かった。「学歴」と言う言葉に、表面上は取り繕ってはいても、心の底では何やら得体の知れない悪感情が湧くことを理解できる人は多いだろう。

 九〇年代、望めば誰でもそれなりの会社に就職が可能だった。地元の堅実な中小企業の社長さんも、大学卒に来てもらうなんて自分の会社じゃあり得ないと年中呟いていたのを聞いた位なのだ。大学出の多くがボーナスを沢山貰った。経済の何かを全く知らない主婦でも、にわかトレーダーだった。女子高校生が高級バッグを抱えて高校に通っていた。その殆どは自動車産業が稼いだようなモノだが、工業でシコシコ貯めた小金を土地投機で膨らませてその金が実体でないことに気付かぬふりを今の爺様世代がしていた頃だ。そんな彼らを横目で見ながら、僕は友人とは比べものにならない安い給与の会社で働いた。僕は戦わずして戦線離脱をした。二十四時間戦えるどころではない、戦闘放棄、敵前逃亡だ。でも、当時の日本の状態について行けなかったのはコマーシャルの中の白人だけではなかった。僕は大人達の有様を見て、僕みたいなでたらめな学生、当時大学は遊園地と呼ばれていたのだが、その僕を雇う会社なんてどうかしてる。企業は僕の何を見て雇おうと考えているのかと、個人的視点で気分が悪くなって所謂就職活動などという代物を途中で辞めてしまったのだ。

 しかし、その時代では落ちこぼれる者が居ても、一元的な競争を社会の基本に据えることが、工業生産第一の時代に合った人間を育てるには一番効率が良かった。こぼれた人間も、こぼれた先で一番になることが出来た。「俺はお前より優れている。」と思うことが出来た。てっぺんから釜の底まで序列化が上手に出来ていた。

 こうした序列化の完成の中で大人達、小さな人の親は、自分の子をその中でいかに上位に位置させるかに執着した。言葉は悪いが、当時学習塾に勤務していた僕はそんな親の意識に毎日晒されていた。理想とする真の人間形成よりも、序列の上位に属するための闘争へと日本の大多数が必死に走った。その結果招いたものは学びの空洞化だった。