落語で、老夫婦がこんなやりとりをする話があった。

「おや、今のは大家さんかね?」
「何言ってるんです、今のは大家さんでしょう。」
「…そうだったかぃ、今のは大家さんかと思った。」

 子育てをしているとこんな事がよく起こる。決して父娘の耳の話ではない。
今から6年以上昔の事。

 或朝、娘は何時もの様に食パンの袋を開きっぱなしで食事をしていた。それをされると、後で食べる時にパンがパサパサになるから僕は嫌だ。だから何時もの様に僕は食パンの袋の口を閉じておいた。すると娘はもう一枚食べるという。最近よく食べる。で、また食パンの袋は開けたまま。で、僕がまた閉じる。四枚切りの厚い食パンとおかずを平らげた上では、流石の娘も食い切れまいと思っていたら案の定。娘は、
「食パンの耳、のこすぅ。」
と言った。そこで僕はムッとして言ってしまった。
「自分でとって食ったんだろ?最後まで食えよな!オレ、お前の残したパンの耳、食べるの嫌だからな!」
娘はそれを言われてシュンとしている。モソモソと自分の残した食パンを食べ始めている。瞬間!僕の頭の中に聞こえた。

「ずれたよ!!」

 僕が面白くなかったのは食パンの袋の開けっ放し。娘が受け取ったのは、自分で食べた分を最後まで食べろということ。二人のコミュニケーションは端から見ていれば成立しているように見える。が、本当に成立している訳ではない。

…だって、このままではこれからも食パンの袋は開けっ放しだからだ。

 こんな事をする自分を、父親としてはかなり阿呆だと反省する。コミュニケーションのずれ。このずれが連続して起きるその先には満たされないコミュニケーションの結果の、消化しきれない気持ちが、そして大体において弱者である子どもの側に或種の心理的バランスの悪さが累積してゆく。

 ずれの補正。正しい人間関係。ずれの連続。満たされないままのお互いの認識、こんなずれの上に、果たして子どもの心の同一性を、僕達親が望める筈がない。

…僕は娘の食べているパンの耳を奪うとそれを頬張った。

呆気にとられている娘に言った。

「…ごめん、実は、オレ、間違った。さっき、パンの袋の口、閉じてなかったろ?ホントはそっちが気になってイライラしたんだ。でもその時は我慢して言わなかった。でも、我慢しきれなくなって、パンの耳残すって言われた時に、それに文句つけちゃった。ホントはパンの耳、残したことを怒りたかった訳じゃない。パンの袋の口を閉じてほしかったんだ。…こんなこと、ちゃんと言えなくて、反省してる。さっきはごめん。」

と謝った。…イライラするとろくな事がない。

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■遺書を書く

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とりあえず当面死ぬつもりはないけれど、遺書を書いてみた。


 生命保険の事とか、僕の持ち物のこと、プラスの財産の事やマイナスの財産の事から書き始めてみた。でも、書いているうちにそんな事どうでも良くなってきた。そっちの方が残された方にとっては大切だって事は分かるんだ。


分かるんだけど…。


 何となく書き上がった遺書の大半を占めていたのは、自分への反省と、残される家族に対する僕の願い。


コレは、僕の家族に対する気持ちなのだなと思った。


体に気をつけろよ。

どんなにひねくれても優しさは無くすなよ。

知ると知らないとをしっかり見極めろよ。

自他をしっかり区別しろよ。

勝たなくていい、負けるなよ。


とか、その他グダグダと色々…。


更にはそんな事まで遺書に書くなよと、自分にいたくなる事まで。


風呂には入れよ。とか、枕カバーは頻繁に換えろよ(笑)。とか。

更には、


小学校で習う学習事項は一生の宝物になるぞ、しっかり「理解」しろよ。


とか、だんだん遺書じゃなくなってきた。


思った事が。僕の愛が形になると、こんな風になるのか。と思った。


だとしたら、僕の愛ってすこぶる所帯じみてる。


あはは。    その遺書は破り捨てた。


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■僕は宇宙人

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 新しい家族が出来て3ヶ月が経とうとしている。僕は改めて小学校2年生の女の子の父親になった。といっても、彼女の母親とは6年越しの付き合いがあったからその娘である彼女とも付き合いは長い。法的に僕が養父になる前から彼女がインフルエンザにかかれば預かり僕は家にいて彼女の世話をしたし、一緒に出掛けた場所も全ては思い出せないかもしれない。

 一緒に暮らすようになって僕は彼女との会話の中で毎日使う言葉がある。

「僕は宇宙人なんだ。」

 幾ら付き合いが長くても、お互い今まで子どもと二人暮らし同士の結婚だったからそれぞれの家庭があったし、当然家族の有様-僕は家族文化と呼んでいる-は違った所が沢山ある。だから、その食い違いを説明する場面では決まってこういう事にしている。

「僕の星では学校から帰ったら必ず自分の人差し指を鼻の穴に突っ込んで必ず『ただいま』って言うんだ。そして直ぐに手洗いとうがいをする。そうでないと失礼な事になってしまうんだ。勿論、うがいが終わったら、ズボンのチャックを開けて『おやつくれ!』と言ってもいいんだ。」

彼女が変な顔をしている間に次の言葉。

「解らないなら僕がやって見せようか?」

「…いい。」

「じゃ、わかった?人差し指を鼻の穴に突っ込む事と、ズボンのチャックを開ける事が大切なんだよ。」

「そんなこと、するわけ無いでしょ?」

「いぃや、それをしないと失礼だよ。」

「なんで?そんなのおかちいでしょ?」

「え?おかしいのか?地球では?」

「第一ヤチ(僕は今まで全ての子どもに僕の名前で呼ばせている)は地球人でしょ。」

「違うね。地球人達とは文化も考え方も違う星から来たんだ。もっとも、僕は巧妙に偽装しているから地球の科学力では僕が宇宙人だと識別はできないけどね。」

家族文化の違いを話し合う時にはとても有効な手段だ。兎角シリアスになりそうになる場面でも完璧に切り抜ける事が出来る。

僕は宇宙人だ!
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「どうして僕らは勉強しなくちゃいけないの?お父さんとお母さんは『自分のため』っていう。」


…ほう、自分のためならこんなコトしたくないなと思うことがあるんだね。


「うん。」


…うんとね、実を言うと、勉強は『自分のため』にするのではないよ


「え!?」


…あのね、君が勉強して賢くなるだろ?大きくなって沢山の人と仕事をして、一緒に仕事をする人達を幸せにするために勉強するんだよ。だって、賢い人と一緒に仕事が出来たら、とても勉強になるし、嫌なことだって楽しくなっちゃうかもしれない。


…だから、君が勉強するのは『他人のため』だよ。


「でも、そうしたら、きっと僕も幸せかも。」


…うん、その事なんだよ。そして君も沢山の事に気づけたり、面白い事を発見できるような大人になれる。今君はみんなのために勉強しているんじゃないのかな、きっと。


僕はそういう考え方も格好良くて好きなんだ。


浮雲シングル ~松柏塾日記~-ほう、どれどれ。
 十年も昔。僕の所に来てくれた小さな人が「おとさん、見て!」と笑顔。今描いたばかりの絵。小さな人の描いたそれはとても上手いとは言えない絵


 こんな時僕はとても困る。だって、僕的に見て下手なのだから誉めようがない。その絵の描線の拙さに表れる可愛さに気付きながらもどう誉めて良いかわからない。僕は困った父親だ。誉めてあげなくちゃいけないのに、何故か言葉につまる


 だから、小さな人に尋ねてみる

「へぇ、どんなところが素敵に出来たと思う?」

すると小さな人が教えてくれる

「あのね、ココ。おとさんヤンドン(ライオン)のおひげ。」


はやっと口を開くことが出来る

「なるほどー!この、おひげのヨレヨレ具合がのんきなお父さんライオンらしくていいねぇ。実にノンビリしてる。いいねぇ。他には?」

小さな人がまた答えてくれる

「えとね、赤ちゃんヤンドン、可愛いでしょ。」

有り難う。助かるよ。成る程成る程。ここか!と僕は内心感謝する。

「ほぅ、これか!うんうん、可愛い可愛い。えへへへ。いいねぇ、ありがと。」


きっと誉める場面で言葉につまる僕にはきっとトラウマが有る のかもしれない。何とか上手い方法はないかなと考えた結果思いついたこと。


その絵を小さい人と2人で対象化して共有しちゃえばいいんだ!


そうすればちゃんと小さな人の気持ちを聞くことが出来る。実の少ない、ずれているかもしれない観点にこれまたずれているかもしれない大仰な言葉で情緒を小さな人にぶつけるのは極めて失礼だ。積み重なれば情緒に縛られ他人と会話はすれどずれていても感じとれなくなる鈍感な、心理的引きこもり人間にもなりかねない問えば、小さな人は教えてくれる。お互い何かを対象化してから情緒を言葉で交換し合う事、それは大人と小さな人との信頼関係を築く為にも有益ではないのか


よかった。ありがとう。僕はちょびっと賢くなれた気がした。