僕はかれこれ赤ちゃんを百六十人余りダッコしました。元塾生の中には二人目の赤ちゃんをこの世に送り出したのも居ます。彼女の一人目の赤ちゃんも…今では赤ちゃんではありませんが、ダッコしました。十三人目だったかな?
 
 ダッコさせてくれた赤ちゃんには僕はナンバリングしたメッセージカードを渡しています。
 
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始めまして。僕です。
 
こんな大人です。君はどんな人になりますか。
君はこれから、「自分」を手に入れてゆくのですね。
口にして頑張れと僕は言わないけれど、
気持ちは何時でも応援しているよ。
 
君はやがて自分の喜怒哀楽に気付くよね。
それが、嬉しいってこういう気持ち、
腹立たしいって、こういう気持ち、
って、解るようになるよね、
 
大きくなって、どうしようもない理不尽と思う事に、
それでも立ち向かわなけりゃいけない事もあるよね。
その時、恐れない人になって下さい。
一番偉いのは、君だよ。
 
お母さん、お父さん、宜しくお願いします、
本当に宜しくお願いします。
この子が、自分である事を何よりも尊び、
自信を持って生きてゆけるように、
賢く育ててあげて下さい。
 
他人の僕が言うのも変ですが、
賢さってのは、学校の成績が良い事じゃないんです。
自分の解らない事に、自分は解らないのだと、
気付いて臆する事なく答えに向かえる事を言うのです。
権威による評価付けなんて、二の次でいいんです。
評価付けされる事にあくせくしても、
賢さの土壌は手に入らないのです。
 
はじめまして、有難う。
 
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 ダッコした赤ちゃん達が、きっと素敵な大人になってくれると信じると、今日の僕は元気が出ます。生きる希望が湧いてきます。僕が生きている間に千人、ダッコ出来るかな。無理だろうな。
 

 僕のところに来てくれた小さな人たちは皆大きくなった。

 

 長女が生まれる時を目標にサラリーマンを辞めた。僕の所に来てくれる小さな人の傍で仕事をすることにした。同時期に、どこかの国の誰かが育児のために勤めを辞めて自営業に転身した新聞記事も目にした。僕の父も自営業だったから自宅で仕事をすることに僕は何の抵抗もなかった。

 最初は食べてゆけないからIT機器のサポートをしながら松柏塾を開いた。それでも足りなければ昔父の手伝いをした時を思い出してガソリンスタンドでアルバイトもした。二足の草鞋じゃなくて三足の草鞋だったこともある。今は、限りなく一足になった。一日の労働時間は13時間が当たり前の時期があった。

 

 元々小さな人の側にいることが目的だったから、なんとかして小さな人と一緒に過ごす時間も捻り出した。夜には小さな人が積み木を崩す音の側でそのまま寝てしまって小さな手で顔をつつかれて起こされたことが何度もある。

 休みの日には必ず小さな人と外に出かけた。夏が来ると早起きして毎日海岸に通った。誰もいない海岸でパラソルを立ててラジオを点け本を読みながら側で砂遊びをする小さな人を眺めたのは気分が良かったな。

 一緒に絵も描いた。紙細工や実験も随分やった。学研の学習と科学の付録を沢山作って一緒に遊んだ。小さな人は僕が時間のあるときにパソコンを触っていると僕の背中といすの背もたれの間にはまっておしゃべりも沢山した。

 本のお話を読んでと言われたらすぐに図書館に借りにゆけたし、必要なら一緒に本屋に行って面白そうな本も見つけてきた。新しい本が高くて買えなければ古本屋さんに通った。友人も絵本を沢山くれた。

 僕の所の小さな人達は保育園にも幼稚園にも行かなかった。保育者が居るのだから保育園に行く理由が無いし、幼稚園だってもっと面白い遊びとか実験ができる。読みたいときに本が読める。パソコンだって小さな人用のを作っておいたから何時でも触れる。壊れたって僕が直せばいい。お金だってかからない。

 

 自営業で収入は乏しかったけれど、時間はあった。その分お金はかからなくてすむ。

 
 自営業がやっと何とかなり始めた頃小さな人は小学生になった。「ただいま!」と帰れば大概は「おかえり!!」と応えることができた。その日学校で起こった出来事をホカホカの状態で聴くこともできた。その後から今も、僕はたいてい毎日「おかえり!!」と言っている。
 
僕がそうしてもらったように。

 

 だから、その当時「幼稚園にも保育園にも行かせないなんてかわいそう。独りよがりで子どもの事を考えていない」なんて、近所に言われていたなんて気づかなかった。今の場所に引っ越してくるまで。もう随分昔のことだ。

 

 その時気づいていたらきっと少し悩んだかもしれないけれど、もう彼らが大きくなった今ではどうということはない。それよりも無理してでも彼らの傍に居られたことが幸せだったし、彼らもちゃんと大きくなってくれたからいいや。

 僕の所の小さな人達が言葉を話すようになった。そして僕がしている事に興味を持ち始めた。僕の予定表や本に落書きを始めた。小さな人達に力がついてテーブルを滑り台にしてとんでもない遊びを始めた。

 

「それは仕事で使う物だから落書きをしてはダメ、

テーブルの縁に手足を挟むと怪我をするからダメ、

ダメダメダメ…。」

娘が口をとがらせて言う。
「ねぇ、じゃぁさ、何なら良いの?」

 

 確かに、ダメだしの数が多い。彼らの満足と僕の都合がぶつかっている。彼らのしたい事の多くが僕をハラハラさせたり苛々させたから、「駄目な物はダメ!」そう言った。

 

 ふと思ってダメ出しの数と中身を考えてみた。で、気が遠くなった。こんなダメ出しって無い。理不尽。僕はフェアに物を考えていない。子どもだって小さな人だ。大人と同じように思い付く事、考える事がある。その動機の下に何かを達成した喜びは、彼らにとってきっと大切なものだ。どんなにワクワクすることを思いついても、彼らは大人の都合にその殆どを合わせなけりゃいけない。彼らは一体全体どこでその着想を満足させればいいんだ?

アイスのカップで

 

 僕は色々と考えた。だから、子どもの部屋の片付け命令は週一回と決めた。何時お絵かきをしても良い安い紙を3000枚常備して、大人に「紙ちょうだい」と言わなくて良いようにした。鉛筆やクレヨンは四セット買い込んでいちいち「無くなったから出して」とか、「どこにあるの」と言われなくても良い所に置いた。そして、流石にテーブルを滑り台にしたいときには少し待ってもらったが、たまには馬鹿みたいになって付き合ってみた。放っておいても子ども達はこれまた常備したガムテープを大量に使って不格好な段ボール箱のジャングルジムを作っていた。紙が無駄になろうと、大人の無駄に比べたら子ども達が育つ時に必要な紙の枚数なんて高々知れている。果たして、紙に「○」だけ描いて捨てる儀式は1000枚使い切らずに終了した。紙代なんて、僕がシャツを一枚買わなければすむ話だ。小さな人が使うペンや、読む本くらい、僕がダイエットすりゃ良いだけだ。だから、何かをしても良いとか悪いとか、考える事はやめにした。子どものしたがる全ては彼らの最も必要な学習事項なのだから基本「許可」で良い、と考える事にした。全部、お前らが考えた事は『いいよ!』だ。

 

 人は動機を持つから仕組みを理解しようと努める。その動機が最も合理的に達成できるように努力する。正しい社会性も、その動機の下に学習する。小さな人達だって同じだ。大人と変わらない。小さな人達の動機を育てる前に、従順に従う事を強いたのでは、変化する社会に自ら考え柔軟に対応できる若者に、彼らは育ってくれない。

 

 あの時の小さな人が成人した。僕が仕事をしている部屋に、畳一畳分くらいの段ボールパネルを引きずって、自分の貼絵作品を嬉しそうに見せに来た時の様子は写真に収めてある。

 

「おとさんヤンドンと、赤ちゃんヤンドンだよ。」と見せに来た。ヤンドンて、ライオンのこと。

 

意味もなく、沢山のぬいぐるみを一列に並べて「この写真を撮れ!」と言われたのも覚えている。そして、自分で組み上げた段ボールのジャングルジムの上から落ちて泣かれた事もある。

 

 彼らには、社会との折り合いを付けながら、充実した毎日を頼もしく創造的な生活をして欲しい。

 不安定な世の中だけれど、その中で人を好きになり幸せな人生を送ってくれ。

 

みて
 

 小学校に入学して初めての登校日、長女は
「いってきます。」
と言ったまま一度も振り返らずに歩いていった。以来、ずっと
「いってきます。」
と言った後に彼女が振り返って手を振ることは一度も無い。一度位は振り返ってくれて良いのにと思う。

 何かに決意をした様子を背中に感じて頼もしく思う。どことなく危なっかしくて、何かに一生懸命の背中に尊敬の気持ちが湧く。「ガンバレ」と言いたいけれど言わない。重たい頑張れなんて要らないだろう。本人は十分頑張ってる。「ガンバレ」と言って満足したいのは僕の一方的な感傷だ。
 
 言う事の無い「ガンバレ」に込められた親父の思いって何だろう。思うにそれは「次世代への切ない期待感」かな。男には次世代を産む能力が無いし、順番でゆけば僕は娘の一生についてゆくことも出来ない。だから沢山の願いを込める事しか出来ない。その願いで一番デカイのが、次世代が豊かに暮らせることじゃないかな。高度経済成長の頂点に育った僕は、
「お前は豊かな時代に生まれて幸せだ。」
と耳タコに親達から聞かされて育った。でもその豊かさは余りにも歪で儚いものだ。豊かさは、そこにあるものだけでつくられるのではなく、それを受け取る側の心が大きな要素だと感じる。その心は、新しい価値観の創造であったり、未成熟な社会に対する苛立ちであったりする。理想への渇望感が、生きることへの豊かさには必要な気がする。
 
 理想に向かう事よりも、現実を見る事が大切だなんて、父親として言いたくない。おやじがそんなでは、次世代がやる気を持てる筈なんて無い。現実と、苦心しながらも折り合いをつけて、どうにかこうにか理想に向かう「もがき」をする事が父親の仕事じゃないかな。そんな気がする。
 僕らは、それぞれの理想を持つ努力すら忘れてしまった年老いたおっさんになる訳にはゆかない。だって父親だからだ。

 してみると…、父親ってのは、何かに決意して、「いってきます」。と言ったまま振り返る相手の居なくなった子どもなのかもしれない。
 
 無論、それで結構だと思う。             

 何年も前の、下の娘がまだ小学校低学年の頃だったかな。

クリスマスプレゼントをもらった。内容は…

 

・「ひまだ~」と言わせないチケット

・お手伝いチケット

・肩たたき券

 

そして

 

・お出かけとか買い物につき合うチケット

 

の中から選んで延べ10回分。昨日3回目を使った。あと7回分残ってる。1回目をニヤニヤしながら使ったときに「まだ持ってたの???」と驚かれた。

上の娘は「私は知ってるからその手のプレゼントは親父にはしないんだ。大事に使われるぞ。」と笑う。

 

うん、楽しみに使うんだ。あと7回残ってる。君の人生の大切なときに使わせてもらうよ。

 

チケットの隅っこに書いてある

 

「すこしショボい(プレゼントで)すまんな」

 

そんなことない。ひょっとしてどんなプレゼントよりも価値があると僕は思ってる。