他人の家に行くとテレビがあってNHKが映っている。僕の家にはテレビがない 、だからその画像をとても新鮮に思い眺める。つまらない番組だと思うが、そのつまらなさが新鮮だ。ただ、その新鮮さに興味を覚え、自前で受信設備を購入してまで視聴したいかと問われると疑問だ。

 

 選択させてくれないかな。緊急時のラジオ放送に対する有益性なら認めるから、「ラジオ受信料」と「テレビ受信料」で選んで契約できないのかな。

 

 

それから…

 

 

とっとと国営化してくれ。税金で縛ってしっかり管理すべき組織だ。放送の持つ公益性はそうして維持した方がいい気がする。

 

 

そのかわり、可愛い女性アナウンサーも、すらりとイケメンパーソナリティーも要らない。一切の飾りを無くして「公益性」に徹した団体を作ってくれ。少なくとも今のような放送の意味を肥大化させて金ばかり民衆から吸い上げようと躍起になっている団体であっては困る

 

 

…などと考えていたら…

 

 

わ! なに? インターネット接続しているパソコンも契約義務の該当装置に繰り入れるだと???

 

 

しかも総務庁、政府が検討を始めていると

 

 

…まぁ、まあいい。頭に血が上りそうだけど深呼吸しよう。でもでも、こんなんでは恥ずかしくって、小さな人達に大人である事にどんどん胸を張れなくなってしまう。

 

 

 偉くて賢い(筈)の大人の方々にお願いだ。頼む、足下がどこにあるのかをもう一度確認してくれ。君達がすべき仕事は金集めじゃない。

 

 

将来的に衰退の色合いの濃い日本のランディングをきちんと模索する事だ。例外漏らさずあらゆる組織において偉くて賢い人達はそのために高い給料をもらっている。

 

 

負け方に知恵を絞れない大人が作った社会に次は巡ってこない。

 

長女が中学生だった頃に、ちょっとばかり同級生に嫌がらせをされました。内容は把握していましたが相手がしつこくなければ僕の出る幕はありません。僕は、

 

「めんどいヤツかもしれないが、やがて君の人生から離れてゆく人だろうから、あんまり気にしなくていいんじゃないか。大人になるまでの一時だしなぁ。」

 

なんて言ってました。

 

ある天気の良い午後、帰宅して僕の目の前でなんか食べながら彼女が話します。なんでも相変わらずちょっかいを出してくる件の同級生に、うるさかったから周りに人はいたが、本人に直接伝えたそうです。

 

「私はあなたを好きではないし、依存もしてないからすり寄ったりしない。だから私を嫌いなら寄るな、私に依存しないでくれ。」

 

言われた本人がその意味をわかったかどうか知りませんが、それからちょっかいは無くなったそうです。

 

相手が引っ込んでくれる良い子で助かったと、娘は言ってました。

 

もっと将来、娘は自分が相手に投げた言葉にどう決着をつける大人になるでしょうか。

庭のコデマリの花をじーっと眺める。

早起きしてカブトムシを捕りに出かける。

カワダのダイヤブロックで年中何か作る。

積み木倒しを年中やって楽しむ。

母が作った熊のぬいぐるみで遊ぶ。

庭で出会った生き物、クモ・チョウ・トンボ・カゲロウ・ミミズ・ケラ・ハンミョウ・ダンゴムシ・ワラジムシ・ゲジゲジ・アリ・ヤスデ・ガ・毛虫・カマキリ・バッタ・コガネムシ・カナブン・アブ・ミツバチ・ハエ・(何故かゴキブリは見なかった)・ネズミ・フナ・コイ・イモリ・ヘビ・カラス・ムクドリ・スズメ・ツバメ・トビ・カワセミ・セキレイ・イノシシ・タヌキ・ネコその他。

1㎝の工作用紙で5㎝の立方体をいくつも作る。

のっぽさんの「できるかな」が大好き。

NHKの「レンズはさぐる」が一番好きな番組(今のNHKじゃないよ)。

虫眼鏡で火をつけて遊ぶ(庭で)。

学研の「スタディー百科事典」友達。

篠竹で空気でっぽうを作って遊ぶ。

新聞紙を丸めて友人とひっぱたき合いをする。

車庫の屋根裏にむしろを敷いてそこでおやつを食べる。

おもちゃからモータを取り出して(こわして)乾電池につないで遊ぶ。

廃棄されたスパークプラグは宝物。

歯車ばっかり集める。

練習は嫌いだけどピアノを弾くのは好き。

怪談の短編集は丸暗記。

川で遊ぶ。

発泡スチロールの塊を見ると工作欲にワクワクする。

ノリよりもセロテープの方をよく使う。

切れるハサミがほしかった。

ゴミ置き場のテレビのスピーカーを集める。

マッチでやぐらを組んで燃やして遊ぶ。

地蜘蛛を捕まえてつっついて遊ぶ。

夏の花火が大好き。

秋葉原でトランジスタを眺めるのが好き。

鉱石ラジオがうまく作れなくてショボン。

火縄銃を自作してすごく怒られた(時効)。

スポーツ少年団の練習が嫌い。

田んぼでカエル釣りをする。

模型エンジンを庭でうるさく回す。

祖父の錆びた日本刀を研ぐ(家の包丁も)。

裏の竹藪で竹をとってきて弓と矢を作る。

ハムスターを飼ってみる。

戦車のラモデルがすき。

 

子供の頃、僕の近くにあったもの。思い出したら追加しよう。

 僕の所の小さい人達は、僕を「へっぽこヤチ」…ヤチは僕のあだ名なのだけれど、ちょくちょくそう言った。
 
 小さい人達の「学び」って、教室と机と教科書、学校の先生の世界でいいのかな。学校よりも発展性があって、もっと体に近いところに最も学習の大切さが在るような気がしてた。
 
 論理・記憶、そして身体活動。この三つはそのどれも、幼児期の小さい人達にとって外せない気がしたし、就学してからも日々の活動に小学校の学習内容はよく使える。とっても偉い先生に言われなくても、彼らのしていることをよく観察してみると解る。彼らがヨチヨチ始めた頃からその成長の早さに僕は驚愕し、観察してる。失敗を何度か繰り返して、僕が何も言うことも無しに自分で何か獲得している。そんなに大それた事が出来てるわけじゃない。でも彼らは、ついこの間生まれたばかりなんだ。それなのにこの学習能力のすごさは一体何だ。
 
 だから、一番始めに気付いたのは「身体活動を通した学習」がどえらく大切じゃないかと言うこと。やつらがまだヨチヨチの間に考えてみた。親父としての路線を考えた。
 
 小さな人達が二語文を話し始めたときから「へっぽこ作戦」を開始した。僕の地で行けば良いのだから簡単だ。彼らの、まだ上手に使えない指先で一列、丁寧に並べられたペットボトルのキャップを、一つおきに少しずつずらしておく。それを見つけて不満げに元に戻す小さな人。彼らが他に気をとられている間に今度は二つおきにキャップをずらす。彼らが並べたものはいつも必ずちょっといじくっておいた。
 
 主語と述語のある、まともな日本語を話し始めたら、小さなケーキを買うときはわざと一人分少なくして買ってくる。その彼らが言う。
「足りない・ない!」。
夕食でお皿を用意するときもわざと一枚多く出したりする。
「これ、だれの?」と小さな人は持ってくる。
「わかんない。誰の?」と尋ねると
「これ、いらない。」と言う。
お店で買い物をするときも間違えたフリをして少なくお金を出す。店員さんに促されて
「またやってしまった。」
いつもよりもほんの少しだけ「へっぽこ度」を上昇させればよいのだからちっとも苦にならない。
「またヘッポコしちゃったよ。」
「お店の人が『さんびゃくじゅうごえん』って言ったのに、『にひゃくえん』じゃたりないでしょう。」
 
 小学生になると本を眺めている小さな人に
「ね・ね、見て見て!来て来て!」
と呼びつけて、シャープペンシルの両端に乾電池を4本つないで芯を赤熱して見せて興奮して見せびらかす。
「どう?どう?すごいよね、電池って!」とかやる。
綺麗に塗装したプラモデルをわざと汚して見せて
「どう?どう?本物っぽいでしょ?」とかやる。
楽しい。ワクワクした演技のつもりが、僕は本気になっている。
 
 この日常の、父親によるヘッポコ具合は、不必要に父権を振り回さなくて済むというオマケもついてきた。少しぐらい頼りなくても構わない。子ども達が何かを考えてくれるきっかけになるなら。やがて、「多い少ない」が「数」や「量」にはあることを理解してくれた。それらは生活に密着した所から始まっているから無駄がない、無理がない。そして体を通して理解していることだから何にでも応用が利く。目に見えない、形のないものが何か仕事をしていることを感じられるようになる。そのことがその後の学習に大いに貢献している。その先の学習効率が上がるから、他のことを楽しめるようになる。
 
 今の僕は成長した彼らにとって本物のヘッポコになってしまったけれど、そんな小さな人達のそばにいて、子ども達の日常で学ぶ姿に接することが出来て幸せだった。もう皆成長してしまったけれど、僕は相変わらず「へっぽこ」のまんまだ。次は、彼らの人生を、へっぽこなまま変な大人を振りかざさないままにおとなしく眺めさせてもらえたら幸せだ。
 
 だから僕は、ずっとへっぽこでいいや。
 
 

■その十 僕の先輩

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 僕の父は子どもたちと暮らして幸せだったろうか。

 七年前に八十五であの世に言った僕の父親は、囲碁好の、ちょっと心臓の弱い時々鬱状態になる偏屈な老人だった。

 尋常小学校の試験で県知事賞をもらって、家父長制時代の農家だから中学(現在の高校)に行かせてもらえなくて高等科卒業後に出奔、大叔父の所で書生をして、召集令状をもらう。戦争でもう自分は死ぬんだと思って生き残る。就職した本庁少年課では覚醒剤(時はヒロポンブーム)でボロボロになった少年達を見て嫌に退職。日本チタニウム(当時)に就職して母に会うと転職した。資格試験(当時はそういう登用制度があった)で合格したので神奈川で教員をやった。そして母をだまくらかして嫁にする。長兄が生まれると急遽帰省して色々な事に手を出してその後、ガソリンスタンドを自営。結果子どもが三人、全部男の子。長兄には過度に厳しい父だったそうだが、僕にはそうではなかった。兄は父の息子だった。次兄はそんな父と長兄を見ていたから父によく反発していた。ちっともひがんでは居ないが、次兄の八年後に生まれた三男の僕は父にとって可愛い犬コロみたいなもんだったのだろう。父は僕には厳しくなかった。
 父が兄達と一緒に何時も笑って白黒写真に写っている。カラー写真では照れ臭そうにした僕を抱いてニコニコしながら写っている。息子たち一緒の彼の写真を見ると、幸せそうな人にしか見えない。何時も楽しそうにしか見えない。彼の生きた時代を思うと、彼が何時も幸せだったとは思えない。父は父親として幸せだったろうか。そのことは聞きそびれている。尋ねればきっとこう言うかもしれない。
「八分目だ。」
 僕の子どもが居て僕が居て、僕の父が居て。父親ってのはどんなものかと尋ねてみたいけれど一度も尋ねた事はない。何となく癪に障るから聞かず仕舞いだ。ニヤっとして、
「…さぁなぁ…。」
と答えるのがわかるから尋ねないままだ。
 身近な人の、それも先に逝ってしまった人の一生に思いを巡らすのは少なくとも悪い事じゃない。多少感傷的になるけれど自分がその人を愛しているかどうかを自覚できる。
 僕の子ども達も、僕の今迄を、僕と同じ思いで想像するのだろうか。そうしたら、例え言葉が聞こえなくても、僕は愛されていると思う事にしよう。そしてこの世とオサラバしよう。

 突然だけれど、これから憲法改正の議論が高まるだろう。社会は自らの態を認知するために愛国心という言葉を使い始めるだろう。愛国心ってのは、自立した個人の他人に対する愛情の上に成り立つのが先で、個人にとって根拠の薄い全体主義的な発想から父権的に与えられるものではないと僕は思っている。

 ふと、思い出す。実家の居間で、拙い手前の長女と碁盤を挟んで僕に向けた父の背中は年老いていた。娘はじぃさんが大好きだった。子ども達は父の傍では何時までもジッと座っていた。八十三歳と十二歳。