私は技術の方向性が決まっているため他の流派や技術を見ることがほとんどないのですが、最近色々な広告を見ると
だれでもたった〇〇日で身につく!
など今の技術は(昔もそうかわかりませんが)テクニックに近いものなのだなと思いました。
しかし、これはもしかすると私がズレているのかもしれない、言葉を変えた方がいいのか?と思いつつもブログでは私にとっての技術を書いていきたいと思います。
確かに私の鍼灸の技術も私が出来るくらいですからだれでも再現可能です。しかし「使う」というよりは技術そのものに「なる」という表現が正しいのです。
そのためすぐできる!などと、とても言えるものではありません。
今の時点の自分の体の使い方では不可能な身体操作を意識と感覚を、仕事をしない時でもずっとキープし続けた先にあるのが技術というものです。
出来なかった当時私は鍼灸技術を覚えるために自分の全人格を捨ててもいいと思い、日常でほぼ一時も忘れないように意識し続けた時期がありました。
そのおかげで何を行っているのか理解は出来るようになりました。
自己否定をし、自分の生き方にはなかった新しい身体操作を脳に書き込む、いや、書き換えるという作業を四六時中続けるのが「技術になる」ことなのだと思います。
そういう意味では「自分はいらない」と思い練習を続けたおかげで今があると言っても良いなと現在も自己否定を続けている最中です。
最近一人の療術系の名人に出会う機会に恵まれたのですが、やはり手の抜けが美しく、鍼灸でもこれ系の使い方の人は同じく名人達人だと言われているなと思いました。
私は色々な方の体の使い方を見ていて思っているのが、一流の人間は身体操作が一般人と全く違うということです。
例に漏れずその先生も姿勢は丸いのに手の抜けが異常とも言えるほど出ていて、人の情報を読み取ることができる素晴らしい手でした。それの源泉は仙骨を起点にしている身体操作から来るものだとわかりました。
その先生は人を治療していなくてもペンを持っていても常にその身体操作による手の抜けがある。
仕事の時だけ「使う」技術ではない
要は常時技術そのものに体が変化しているのです。
これが達人であり名人たりうる人であり自分の方向性を体現した一つの到達点だと強く感じ感動と興奮しました。
こういう方を見ていると先程の広告はやはり違ったもに見えてきますよね。
3日で最高級の技法が脳に染み込み日常動作に技術が意識しなくても使われているようになれるか?
それは当然不可能でしょう。
そんな短期間でできる技術と呼ばれる物は私の言葉だとコツとかテクニックなのだろうと思います。
でもこういった広告も会話や文章が非常に上手いので結構引き込まれます。キャッチーですし、商売上手だなぁと楽しい読み物だと思うと面白く見れます。
技術になるという観点でいえば
スポーツ選手も試合や練習中は体の意識があるのですが、日常でその体の使い方を意識して使っている人は少ない印象です。
私はこれだけ特殊な身体操作が出来るのに日常で使わないなんて勿体無い!と思っていしまいます。
技術に生きる人でなくても姿勢を正しくあろうとすることが身近な意識を常時使う方法なのでおすすめです。
意識しただけ脳に新しく回路が形成されますからぜひ背中に一本線が通っているような意識で過ごしてみてください。
また載せていきますね!