『金刀比羅神社』

 

御祭神 大物主神。

 

 

雨の中、朝一番はちょっとした登山をしての参拝でした。

 

 

次に向かったのは、

『滑石太神宮』

 

『長崎市指定無形民俗文化財 滑石竜踊』

 

「長崎本籠町籠踊の古典的伝統を伝承する竜踊で、その始まりは明治10年、雨乞いと五穀豊穣を祈願するため、滑石太神宮の氏子が本籠町の指導を仰ぎ太神宮に奉納したのが始まりである。その後、昭和10年に長崎くんちで大井手町の奉納踊として出演してから長崎竜踊の風格をそなえた。
毎年、県内外の要請に応えて諸行事に出演している。」(長崎市ホームページより)

 

 

「長崎の龍踊りは、もともと中国から移入されたもので、享保年間(約250年前)既に諏訪神社のお宮日に参加した記録があります。

龍踊りは中国で五穀豊饒を祈る雨乞い神事に始まったものといわれており、中国の年中行事や記念祭などには欠くことの出来ない催物となっておりました。

当時、唐人屋敷と隣接し密接な関係にあった長崎市本籠町の町民が、唐人達の指導を受け、三百余年の間にその踊り方は非常に巧みになり、日本独特の巧妙な演技を見せるに至ったのであります。

龍踊りの踊り方は、唐人服装をした「玉使い」が一人、「龍衆」が十人で玉使い、玉隠し、胴くぐりからなっており、ドラ、タイコ、龍声ラッパ等の独特な拍子に合せて長さ20メートルに渉る龍がさながら生物のように踊るさまは、実に壮観であります。」

(長崎国際観光コンベンション協会ホームページより抜粋)

 

 

もともと「くんち」とは、九州北部における秋祭の呼称。

長崎、佐賀の唐津、そして博多のくんちを指して「三大くんち」といったりします。

 

共通しているのは、神社から御旅所まで神輿による御神幸が行われることだそうで、そこにいわゆる大名行列などが加わったり、様々な形態をとるようです。

イベント色が強く神事としての色合いが薄まった、という意見もあるようですが、そこに神事としての意識があれば、たとえ何が失われたとしても間違いなく「神事」です。

 

また、こちらの神宮は原爆が投下された際の救護所として機能した神社でもあります。

 

拝殿および本殿

 

 

この神社のすぐ近く

『滑石カトリック教会』

 

 

新しく、綺麗な聖堂でした。

 

 

ここからランチに。

「向日葵亭」

 

長崎のソウルフード(?)トルコライス。

なぜトルコライスというのかは諸説あるようです。

でも、個人的には「あり」ですキラキラ

 

 

ここから、平戸方面に向かいました。